アメリカが超大国になった経緯

アメリカ
19世紀では、世界の工場といわれたイギリスの「ポンド」が世界中に流通していました。

そのポンドの地位がドルに入れ替わったのは、第一次世界大戦(1914―1918年)のあとからです。




全ヨーロッパを巻き込んだ戦争が4年間も続くとは、最初は誰も予想しませんでした。

欧州各国は、国際通貨である金の流出を阻止するため、金本位制から離脱します。

そして、不換紙幣(金と交換できない紙幣)を乱発して軍事費に充てたのです。

不換紙幣は信用に問題がありますが、「戦争に勝てば、敗戦国から賠償金を取り立てて国庫の穴埋めができる、だから大丈夫!」と説明しました。


ところが戦争が長期化し、各国は物資の不足に苦しみます。

しかし、アメリカは別でした。

中立を宣言して戦場にならなかったアメリカは生産をフル稼働し、欧州諸国へ軍需物資を輸出します。

貿易代金はドル決済で、ニューヨークの銀行へ振り込まれました。

このとき、国際金融の中心は、ロンドンのシティから、ニューヨークのウォール街へと移ったのです。


日本も戦場にならなかったので、欧州向け輸出で好景気になります。

代金は、日本企業がロンドンの銀行に開いた口座へ金で振り込まれました。


アメリカ産の物資は世界中に流れましたが、圧倒的海軍力で制海権を握ったイギリスが海上封鎖を行ったため、ドイツへの輸出は断たれます。

食糧不足が深刻となったドイツは、海上封鎖を打開するために潜水艦による民間船舶への無差別攻撃を開始。

これがアメリカの参戦を招き、ドイツは敗戦に追い込まれました。

イギリスをはじめとする連合国は、軍事費を捻出するため戦時国債(戦債)を発行します。

その多くが販売されたのもアメリカの証券市場でした。

ドル建ての英仏共同国債の発行を引き受けたのは、ニューヨーク最大の金融資本であるJPモルガンです。


戦中、戦後を通じて莫大な貿易代金と戦債の償還金(返済金)がアメリカへ流れ込んだ結果、アメリカは世界最大の債権国となり、米ドルが国際通貨となったのです。


民主党のウィルソン大統領はグローバリズムの理想を信じ、連邦準備制度理事会(FRB)設立を認可するなど、ニューヨークの金融資本と強く結びついていました。

はじめは、アメリカの伝統的なモンロー主義に従って中立を宣言します。


しかし、連合国の一角であったロシアで革命が起こり、ドイツと休戦します。

余力のできたドイツ軍がフランスに攻勢をかけたため、連合国の勝利が揺らぎます。

「連合国が敗北すれば、彼らが発行した国債は紙くずになる!」、ウィルソンが参戦を決断したのはこのときです。

参戦の表向きの理由は「ドイツの潜水艦による無差別攻撃を阻止する」でしたが、「金融資本の債権を守りたい」というのが本音でした。


アメリカはドイツを屈服させ、パリ講和会議では国際連盟の設立を認めさせ、ドイツの賠償問題もアメリカが主導して一応の解決を見ます。


1929年にニューヨークのウォール街で始まった株の大暴落が世界恐慌に拡大したのも、すでにアメリカが世界経済の中心だったからです。

第二次世界大戦において、アメリカは連合国(英・中国)への武器輸出で世界恐慌からも立ち直ります。


さらに、日本軍の真珠湾攻撃をきっかけにF・ローズヴェルト大統領は参戦し、連合国の勝利に決定的な役割を果たしました。

5年に及ぶ大戦が終わったとき、ヨーロッパ諸国と日本は灰燼に帰し、アメリカは無傷でした。

超大国アメリカの出現です。


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