高橋是清
今年は1930年の昭和恐慌から85年目となります。

昭和恐慌は、1929年秋にアメリカ合衆国で発生して世界中を巻き込んだ世界恐慌の影響が日本にも及んだもので、日本経済を危機的な状況に陥れました。

1931年、犬養毅首相に請われ4度目の大蔵大臣に就任した高橋是清は、それまでのデフレ政策を180度転換しました。

日銀引き受けによる政府支出の大幅な増額を行うなど積極財政を展開し、赤字国債発行によるインフレーション政策を行いました。

これにより、世界恐慌により混乱する日本経済をデフレから世界最速で脱出させ、後世に名を残したわけです。

黒田日銀総裁は2014年10月31日、量的・質的金融緩和政策として追加緩和を行いました。

この追加緩和分の国債保有(事実上の日銀引き受け)を加えますと、日銀の国債保有額は日本のGDP(国内総生産)の約75%に相当します。

1905年の日露戦争当時の日銀の国債保有額は26.4%、1944年の太平洋戦争中ですら33.5%でしかありません。

現在の日銀の国債保有額の対GDP比率は日露戦争時の約3倍、太平洋戦争時の2倍以上であり、戦費の調達のために行われた日銀の国債引き受けよりも、金融緩和が行われている状態になっています。

高橋是清がデフレ脱却のため積極財政によりインフレーション政策を行った1930年代は、まさしく戦時でした。

1935年の軍事費は、当時の政府一般歳出の約47%を占めていました。

一方、現在は約42%が社会保障費に費やされています。

軍事費は技術開発を伴います。

事実、日本の自動車メーカーの多くは1930年代に創業しています。

そして、軍事費は戦争が終われば減少します。

しかし、現在の社会保障費は減少するどころか、今後ますます増加していき、財政拡大に歯止めがかからなくなります。

また、高橋是清の時代は人口が増加していました。

1930年の総人口は6440万人、1935年は6920万人、1940年は7190万人と右肩上がりで、労働人口の増加とともに税収も増加していった時代でしたが、現在は人口減少社会です。

さらに、高橋是清の時代には国内労働力の増加と円安がしっかりと結び付いていたため、輸出力を大幅に強化させることで輸出総額は1930年からの5年間で70.2%も増加しました。

それに対し現在は輸出企業の海外生産が進んだことで、為替差益こそ増加していますが、輸出数量の増加は微々たるものにとどまっています。

そして何よりも、高橋是清は引き受けた国債を短期間で市中に売却し、日銀のバランスシートを健全化しました。

日本と同様に量的緩和を実施している米国でも、FRB(米連邦準備制度理事会)は量的緩和の解消(出口戦略)を早くから検討し、その内容を公表しています。

しかし、現在の日銀は巨額の国債を保有し続け、出口戦略の手法についても公表していません。

高橋是清と黒田総裁は似たようなインフレーション政策を行ってはいるものの、時代背景やその手法により政策の効果には雲泥の差があります。

高橋是清の積極財政による日銀の国債引き受けは軍事費を増大させ、それが軍部の発言力を増して日本が満州事変以降の大戦へと突入していったのと同様に、異次元緩和に支えられたアベノミクスの効果により安倍首相の発言力が強まり、集団的自衛権問題に見られるように軍国主義的な傾向が強まっているあたりに妙な共通点を感じます。