佐村河内守さんの謝罪文(全文)

佐村河内守
「全聾(ろう)の作曲家」と呼ばれてきた佐村河内守(さむらごうちまもる)さんが2月12日未明、直筆の謝罪文を公表しました。

謝罪文には、3年ほど前から聴力が回復し、耳のそばではっきり話してもらえば、人の言葉も聞き分けられるときがあると書かれていました。

佐村河内さんは自身の作曲活動について2月5日、十数年前から別の人物に作曲を頼むようになったと発表。

翌日6日、大学講師の新垣隆(にいがき・たかし)さんが「私がゴーストライター」と告白していました。

その際、新垣さんは佐村河内さんについて「耳が聞こえないと感じたことはない」と話していました。

しかし佐村河内さんは、自伝で「35歳のとき、私は全聾になった」としており、2月4日にも「全く聞こえない」と話していたといいます。

佐村河内さんは謝罪文の中で、「最初から聞こえていたのではないか」と弁護士に質問されたことにも触れ、3年前くらいまでは聞こえていなかったことは真実と釈明しています。

佐村河内守さんの自筆の謝罪文の全文は、以下の通りです。(原文は縦書き)




お詫び

今まで私の起こしたことについて深く謝罪したいと思いペンをとりました。

そして、すぐに説明が出来なくて申し訳ありませんでした。

弁護士さんにも本当のことが言えなくて、決断するのに時間がかかってしまったのです。

また、私のせいで、多くの方々に大変な迷惑をかけてしまったことも心からお詫びしたいと思っています。

私のCDを買った方々、応援して下さった方々、音楽関係の方々、私の噓によって番組を作った方々、本やインタビュー記事を出して下さった方々、大切な本番の直前に騒動に巻き込んでしまった高橋大輔選手、被爆者の人たち、被災者の人たち、障害者の人たち、広島市の関係者、友人、家族等、本当に多くの人たちを裏切り、傷つけてしまったことを、心から深くお詫びいたします。

私がついた噓は、新垣さんのことだけではありません。

もちろん、新垣さんとの関係については、新垣さんが話しておられるとおりです。

他にも、私の音楽経歴についても、大体新垣さんが話されたとおりです。

今は、自分を偽って生きて来たことを深く恥じています。

そして、私の要求に18年もの間応じて来たことから、人生が狂ってしまった新垣さんに対しても、お詫びしたいと思います。

ただ、耳のことについては、新垣さんが、出会った初めころから聞こえていたはずだと言われていることは事実とちがいます。

耳が聞こえなくなって手話サークルに参加して、それから聴覚障害2級で手帳をもっていることはまちがいありません。

そして、耳が聞こえなくて、ひどい耳鳴りに悩まされ続けていたことは本当です。

しかし耳のことでは、最初弁護士さんにも正直にお話しできなかったので、そのことについて説明します。

実は最近になって、前よりは、少し耳が聞こえるようになっています。

三年前くらいから、耳元で、はっきり、ゆっくりしゃべってもらうと、こもってゆがむ感じはありますが言葉が聞き取れる時もあるまでに回復していました。

但し、それはかなり体調に左右されるので、体調が悪い時は耳元ではっきりゆっくり話してもらっても聞き取れないこともあります。

しかし2月4日に初めて弁護士さんに会った時は、今も全く聞こえないと言ってしまいました。

私としては、新垣さんに作曲してもらったことがバレることによって起きることで頭がいっぱいで、耳のことも聞かれたのですが、怖くて本当のことを言えませんでした。

音楽的経歴のこともそうですが、他の噓のことを話すと、引き受けてもらえないと思ったのです。

もう、週刊文春が出る直前でしたから、すがる思いで相談していました。

新垣さんの会見自体は見ていませんでしたが、知人からも、耳のことが問題になっていると聞き、本当のことを言わなくてはと思い、2月7日に少し聞こえるようになっていると話しました。

ただ、この時は、人の言葉は聞き分けられないと説明したのですが、色々な情報が出ていると聞き、もうこれ以上は噓はつけないと思い、2月9日になって、耳のそばではっきり話してもらえば人の言葉も聞き分けられる時があることを告白しました。

そうすると、弁護士さんからは、最初から聞こえていたのではないかとも質問されましたが、それだけはちがいます。

全然聞こえなくなって聴覚障害の認定を受けていたことと、3年前くらいまでは、聞こえていなかったことは、真実です。

もうこれ以上、噓に噓を重ねるのはやめると決めました。

ですので、今日は、ここに書いていることは、天地神明に誓って真実です。

耳のことについては、専門家によるきちんとした検査を受けてもいいです。その結果二級ではないと判定されたのなら手帳は必ずお返しいたします。

それと、いくつかご説明もさせて下さい。

もちろん、すべて真実をお話すると決めたので、この後に書くことに噓はありません。

まず、私と新垣さんとの関係は二人きりの秘密でした。

この噓がバレてしまうと、身の破滅になると恐れていたので、妻にも誰にも話していません。

妻も新垣さんのことは知っていますが、現代音楽の専門家なので作曲の仕方などを教えてもらっているとしか説明していませんでした。

また新垣さんへの指示書を書いたのは私です。

お義母さんに妻の筆跡だと言われていると聞いて驚きましたが、誤解です。

何かの一部を妻に書いてもらったことはあるかもしれませんが、そのくらいです。

私の実家にピアノがあったのは引っ越す前のことだったので、お義母さんの知らない時期のことです。

もちろん、お義母さんの言われるとおり、私のせいで、妻にも辛い思いをさせています。

妻が望むなら、離婚してもいいと思っています。

そのことは妻の判断に任せます。

それと私が被爆二世であることも真実です。

私の両親は共に広島で被爆しています。

二人とも被爆者手帳を持っておりますし、弁護士さんにも、写真で確認してもらっています。

私がやってきたことは売名行為と見られても仕方のないことです。

私自身、そういう気持ちが一方にあったことはまちがいありません。

しかし、ある時期からは被爆者や震災の被災者の人たち、障害を持った人たちの助けになればという気持ちもまちがいなくありました。

もちろん、今となってはそのような事を言っても信じてもらえないかもしれませんが、心の中には、いくつもの思いがあったことも確かなのです。

しかし、私の気持ちを信じてくださった方々に、もっと大きなショックを与えてしまったことになります。

本当に取り返しのつかないことをしてしまったと思っています。

もう一つ、弁護士さんにはじめにお願いしたことなのですが、私が新垣さんに作ってもらった楽曲は、私のことさえなければ、きっと後世に残るはずのものですし、今はこの楽曲が生かされ、少しでも周りの方々の被害が少なくなるようにしてもらいたいと思います。

最後になりますが、やっと気持ちが整理できましたので、近い内に必ず公の場で謝罪をさせていただきます。

本当に申し訳ありませんでした。

平成二六年 二月十一日

佐村河内 守


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