佐村河内守氏のゴーストライター新垣隆氏の記者会見詳細

佐村河内守
広島市出身の被爆2世で両耳が聞こえない作曲家として知られる佐村河内守(さむらごうち・まもる)氏(50歳)の楽曲を特定の別の人物が作っていた問題で、「佐村河内さんのゴーストライターを18年間やっていた」と名乗り出た桐朋学園大非常勤講師の新垣隆(にいがき・たかし)氏(43歳)が2月6日、東京都内で記者会見しました。




会見は午後2時30分に始まりました。

報道陣から激しいカメラのフラッシュがたかれるなか、新垣氏はグレーのスーツ姿で登場しました。

2月6日発売の「週刊文春」に記事を発表したノンフィクション作家の神山典士氏らも同席。

神山氏が冒頭、会見に至るまでの経緯を説明した後、新垣氏が準備してきたコメントを読み上げました。

新垣隆氏が準備してきたコメント全文

新垣隆

私は、佐村河内守さんと出会ったときから18年にわたり、彼の代わりに曲を書き続けてきました。

佐村河内さんが世間を欺いて曲を発表していると知りながら、指示されるまま曲を作り続けた私は、佐村河内さんの共犯者です。

障害をお持ちの方々、また、彼の言葉を信じて曲を聴いてくださった多くの方々、見事な演奏をしてくださった演奏家の皆様、本当に申し訳ございませんでした。

当初は軽い気持ちで曲を書くことを引き受けていました。

彼を通じて私の曲が世の中に受け入れられたことが、うれしかったことは否めません。

しかし、彼が世間に知られるにつれ、この関係が世の中に明らかになってしまうのではないか、と不安を抱くようになりました。

そしてこれ以上、自分の好きな音楽で世間を欺きたくないという気持ちが、私の中で大きくなってきました。

私は何度か、彼に対して『こんなことはやめよう』といいましたが、彼は聞き入れてくれませんでした。(佐村河内さんに)『あなたが曲を書いてくれないと私は自殺する』ともいわれました。

そんな中、フィギュアスケートの高橋大輔選手が、私の作曲した「ソナチネ」を(五輪で使うことを)選ばれたことを知りました。

このままでは高橋選手までもが彼と私の嘘を強化する材料になってしまう。

しかし、同時に事実を知った高橋選手のショックを考えると、公表すべきか迷いました。

ただ、このまま何もいわず、五輪の後に事実が発覚した場合、高橋選手は非常に戸惑うのではないでしょうか。

さらには、『偽りの曲で演技したではないか』と世界中から日本に非難が殺到するかもしれない。

いろいろ考えた結果、高橋選手には事実を知ったうえで五輪を堂々と戦っていただきたいと思い、このような会見を開かせていただくことにしました。

高橋選手、そして音楽作品を聞いてくださったみなさまには、本当に申し訳ないことをしたと思っております。深くおわび申し上げます。

新垣隆氏と記者との質疑応答詳細

佐村河内さんとの出会いのきっかけは

彼(佐村河内氏)とは知人を介して紹介されてお会いしました。

彼が映画の音楽を担当することになり、彼が必要とした『オーケストラのための音楽をできる人を探してほしい』という相談を受け、私のところに連絡が来ました。

最初の出会いはそのようなものです。

この18年間で、やめようと思ったタイミングはあったか

やめようと思いましたのは、できるならば早い段階ででした。

当初は彼の映画やゲーム音楽のお手伝いという形で、私はアシスタントとして関わっていました。

そのような認識を持っていました。

その中においては、ゲームであり映画をつくるスタッフの一人であるということで、特に問題は感じていませんでした。

ただ、彼がある時期から、世間に対し『自分は耳が聞こえないのだ』という態度を取ったとき、そしてそれを彼の名で私が書いた曲の発表をした時点で、それは問題のあることだと思いました。

しかし、そこではまだやめようということではなく、彼に従い曲を書き続けました。

去年5月に、ピアノの曲を提出したとき、もうこれ以上はできないと思いました。

そこから、彼に何度かこの関係を続けることはやりたくないと伝えました。

耳が聞こえないということだが、これまで接していて、「そうではない」というエピソードがあれば

耳に関しては、私の認識では、初めて彼と会ったときから今まで、特に耳が聞こえないということを感じたことは一度もありませんでした。

一般の方と同様に話ができたということか

そういうことです。

佐村河内氏から「現代典礼」という曲の依頼を受けてどう思ったか

彼からは、一枚の図表をもらったわけですが、それと同時に、彼が『非常に大きな編成で大きな長さの曲を書いてくれないか』と依頼がありました。

図表は、実際の作品の曲のなりゆきとは全く異なりますけど、ただ、あの表を私が机の横に置くということで、それをある種のヒントとして、私が作曲する上では必要なものだったと思います。

最後に佐村河内さんと会ったのはいつか

最後に会ったのは、去年の12月15日です。

そのとき、「すべてを打ち明ける」といったような話はしたのか

していません。

今、佐村河内さんに何と言いたいか

多くの人の夢を壊してしまったわけです。ただ、やはり、そもそもの関係が間違っていたのではないでしょうか。以上です。

2人の印税などはどう管理していたのか

彼が(作曲を)依頼し、私が作曲し、それによって私は報酬を受け取りました。印税については私はまったく関係がありません。

2006年に、佐村河内さんがある高校の吹奏楽部に小品を提供している

はい。私が作りました。

どんな依頼だったのか

彼が、ある高校の吹奏楽部の顧問の先生とコンタクトを取り、それで彼が『学校の吹奏楽部のために曲を書きます』といって、私のところに依頼が来ました。

佐村河内さんから曲のイメージや構成案が送られてきたのか

あの曲に関しては、そういうことはありませんでした。

私が(曲を)書きました。

楽器の編成が吹奏楽のみならず、邦楽器を含んでいた。

顧問の先生から、ゲーム音楽のイメージで作っていただけないか、という依頼だったと思います。

それを受け取り、作曲しています。

佐村河内さんの聴力について。新垣さんが作った曲を佐村河内さんが聞き、意見するなど、耳が聞こえる具体的なエピソードはあるのか

おっしゃったようなことはありました。

私が録音したものを彼が聞き、彼がそれに対してコメントするというシーンは何度もありました。

耳が聞こえないということを装っていた、という認識なのか

はい。

CDの解説書の中で、佐村河内さんが長野にコンサートを聴きにいき、新垣さんと知り合ったというエピソードが載っていた。それもすべて嘘だったのか。そして、吹奏楽部のために作った曲では、新垣さんは満足感を感じていたのか

CDの解説にあった記述はほとんどが嘘です。

出会いはそうではないですし、あれはフィクションです。

また、吹奏楽の小品のみならず、私は作曲をしましたけれども、私の作品であることはいえると思いますが、同時に、一連の作品というのは、彼とのやりとりの中で生まれたものであるという認識を持っています。

ドキュメンタリー番組で、曲が浮かばない苦悩や、曲を絞り出す姿が映されていた。彼の苦悩する姿をみてどう感じたのか。演技だったか、本当に苦悩し、それを新垣さんに伝えたのか

彼がどのような気持ちであのようなシーンを撮られたのか私には分かりません。

ただ、私は、彼から依頼をうけたとき、やはり何か被災者の方のために曲を書きたいと思いました。

音楽自体はすばらしいと感じたが、番組内の曲作りに苦悩する姿などは、佐村河内氏の演技だと思うか

私はそう思っています。

共作にしようという提案はあったか

そのようなことは私からも提案はしなかったです。

共作という意識はなかった

あくまで彼のゴーストライターであるべきだと思っていた。

佐村河内氏側の代理人によると、新垣さんが表に出づらい理由があったということだが

いえ、特段ありません。

名前が出なかったことについておかしいともおもわなかった

初めの段階から、私はゴーストライターとしての役割であると思っていました。

ゴーストライターとして曲を書いた報酬は

18年間で20曲以上提供しました。はっきりとした金額はちゃんと調べていませんが、700万円前後だと思います。

フィギュアの高橋選手が使用するバイオリンのためのソナチネは、当初みっくんに送られた曲。新垣さんとみっくんの関係は

彼女とは、彼女がバイオリンを始めた頃から私がバイオリン教室で私が伴奏していたので、そのころからの関係です。

ご家族からは佐村河内氏への相談は

はい。そういうことが一回ありました。

どういった内容か

それは、雑誌に書いてある通りです。

700万ほどの報酬について。今後返還する考えは。もしくは今後、演奏家の方らに賠償のような形をとることは考えているか

私の気持ちでは彼に報酬を返すことは考えていません。

演奏家の方に対しては、私は非常に感謝の念を持っています。

それをお伝えしたいと思います。

佐村河内さんの曲と信じてCDを買われたファンの方には

それは、大変申し訳ないことをしたと思っております。

本当に申し訳ありません。

世に知られるきっかけとなった芥川作曲賞への応募について、作曲家としてどういった気持ちだったか

それに関しては私は、最初は知らないままだったのですが、戸惑いました。

ご自身で芥川作曲賞に応募されたことは

私自身のオリジナルとして提出したことはまだありません。

今後は

賞に応募することはないと思いますが、その芥川作曲賞という日本の芸術音楽に贈られる賞なので、私もその領域で、芸術作品を作りたいという意志は強く持っております。

佐村河内さんから伝えられていた楽曲のイメージはどんなものか。また今後、楽曲の著作権を主張するのか

彼は言葉のみならず、いろいろなクラシック音楽のレコード、CD、録音などを聞いていました。

それで、彼なりに、自分の(表現)したいものを選んで、提示したこともあります。

それから図表や言葉というもので提示されました。

著作権に関しては、私は放棄したいと思います。

佐村河内さんはピアノを弾けないのか。また、新垣さんは、今のクラシック業界に対する不満があったのか

今の質問に対しては、特に不満を持っているということはありません。

作曲家が、自分の作品を発表するための場は、決して貧しい状況とは思っておりません。

それから、彼(佐村河内さん)は、非常に初歩的なピアノの技術のみ、であります。

会話ができたということは、2人以外に誰が知っていたのか

私は彼と接触するとき、ほとんど2人だけだったです。

そこでは、ごく普通のやりとりをしていたということです。

それ以外で彼と会うということはありませんでした。

著作権を放棄するとおっしゃった。著作権をすでに譲渡しているのか。楽曲を提供した際、すでにそういう話し合いをしているのか

そういう話は一切していません。

JASRACと協議はしているのか

私はそれには一切関わっておりません。

レコード会社の日本コロムビアや、密着取材したNHKのディレクターも一切事実を知らなかったのか

私はNHKの方やコロムビアの方とはコンタクトを取っておりませんでしたので、それはお答えできない。

私はまったく知りません。

2人の関係が露見しないために工作したのか

それは1点。私が(楽曲を)作っているということを口外しないということのみです。

偽名を使ったのは

偽名を使ったのは、(「週刊文春」に報じられた)1回です。

気持ちに変化が起きたのはなぜか

去年の5月に曲を提出した段階で、続けられないと思いました。

7月にそのことを彼に伝えました。

さらに12月、もう一度彼に要求しました。

でも、それはうまくいかなかった。

「現代典礼」という曲を作ろうとした経緯と、それが「HIROSHIMA」に変わっていった経緯は

彼(佐村河内守さん)から『一枚のCDに収まるようなゲームではなく、オーケストラのための作品を作りたい』という希望を聞きました。

それを、発売するのだと。

そのために一年間で、作ってくれ、ということで引き受けました。

私は事情は分からないのですが、結果的に発売はされませんでした。

そのままになっていました。

もちろんそのときには、『HIROSHIMA』というタイトルではありませんでした。

数年後、そのオーケストラ作品が『HIROSHIMA』というテーマで発表されると聞いた際には大変驚きました。

改めて「みっくん」とよばれるバイオリニストと、ご家族への思いを

彼女には是非、あの曲を弾いてほしいと思っています。

彼女と、彼女の家族の皆様に対しては、これからも音楽を通じてコミュニケーションをしていきたいという思いが強くあります。

新垣さんが今回会見をして謝罪をするのは一つのけじめだと思うが、今後の身の処し方は

できることならば、今後も私の音楽の仲間たちとともに、音楽活動を続けていきたいと強く思っています。

みっくんに曲を弾いてほしいということだが、一方著作権については放棄したいともいう。ご自身でこの曲は残したい、この曲は違うというような切り分けは。また、自分の音楽と佐村河内氏の音楽を作る際の気持ちの違いは

佐村河内さんのために曲を書くという面もありました。

彼との関わりの中で、作品が生まれるということなのですが、彼との共同作業であると私は全ての作品において思うのです。

同時に、全ての作品は私のできる限りの力の範囲で作るものであり、そういう意味では、一つ一つが大事なものです。

なぜ週刊誌での告白という形を取ったのか。また、ソチ五輪直前のこの時期の発表には、売名行為という見方もあるが

やはり、高橋選手に偽りの状況のまま踊っていただくことは、非常によくないことではないかと思いました。

佐原河内さんの障害者手帳などを見たことあるか

一度だけ見せられたものはあります。

手帳です。

何級かは記憶にありません。

時期は、彼が、自分の耳が聞こえないと世間に、そのようなスタンスをとった直後です。

彼が35歳のときか

そこらあたりだと思います。

佐村河内さんは、具体的にどう作曲に関わっていたのか

私が音楽の断片のようなものをいくつか提示し、譜面を書き、ピアノに録音する。それを彼が聞き、彼がいくつか選んだ断片をもとに、あとは私が作曲、全体を構成する というプロセスでした。

譜面上のやりとりではなく、実際にピアノを聞かせて、やりとりがあった

はい。

障害者手帳は、詐取しているということなのか

私は彼と普通のやり取りをしていました。

障害者ではないと

そう思います。

それは違うのではないかと思います。

であれば、佐村河内さんはなぜそういうことをしていた。本人の口からはどういう説明があったのか

最初は私に対しても、耳が悪い状況である、ということを示していたのですが、やりとりをしているうちに(もとに)戻ってきました。

佐村河内さんは、偽りを「隠す」理由についてはどう説明していたのか

耳が聞こえないということを示すための、外に向けての行為をしていたのだと思います。

佐村河内さんは真実を隠した方が、CDを売れるんじゃないか? といったことは言っていたのか

『これからはそういう形でいく』ということを聞いたことはあります。

それはいつか

ゲーム音楽が発表された後です。

福島県本吉町が佐村河内氏に依頼し、東日本大震災の3年イベントで初披露する楽曲があると聞いている。これも新垣氏が作曲したのか

それは初めて聞きました。

私は関わっていません。

著作権はいつ放棄するのか

高橋(大輔)選手があの曲で演技できるための詳しい手続きは分かりませんが、それは実現されなければならないので、手続きが必要であれば絶対しないといけないと思っています。

世に出した楽曲の中で、新垣氏が作った記憶のないものはあるのか

先ほどの(福島に関する)曲は私は知りませんでした。

自分の認識のなかでは彼のほぼ全ての曲を自分が担当しています。

ほかにゴーストライターはいないという認識か

私はそう思っております。

作曲の報酬面で不満に感じたことはあったか。また、佐村河内氏との間で、金銭面でのトラブルはあったのか

私が譜面を作り、報酬を受け取る形は全く自然なものと自分では思っていました。

そして、彼がそれ(楽曲)を受け取った後は、もう、彼のものなわけですから、彼がどのように扱ってもいいということだと思っています。

ですので、その後についてのことについては私は一切タッチしたくないという気持ちがありました。

金銭トラブルというものはなかったと思います。

CDの回収などでレコード会社などに生じた金銭的損害についてはどう処理するのか

どのような形で償えばいいのかということは分かっておりません。

ゴーストライターに徹していたとしても、18年はあまりに長い。佐村河内氏との間に友情はあったのか。それとも佐村河内氏が変わっていったのか

最初お会いしたとき、彼は自分が撮った映画で自分のアイデアを実現したいという気持ちがあった。

そのために、彼は実際の音楽の予算を大幅に超えたお金を自分で出して、メンバーを雇い、スタジオを借り、私が協力して作っていった。

彼は(当時)自分のやりたいことを実現させるために頑張ったのだと思います。

そのような点では偉いなと思っていた。

彼が変質したかどうか。

それは私は、そんなに感じてはいなかったかもしれません。

彼とは基本的に、依頼をし、譜面を作り、渡すというやり取りだけの関係を保っていました。

その中で彼の情熱と私の情熱が共感しあえたときはあったと思っています。

新垣さんは、佐村河内氏の欺く行為を止めることができる立場にいた

やめたいと直接言ったのは、実は最近になるわけです。

去年のことです。

それまで彼にはっきりと自分の意志を伝えたことはなかったんです。

彼から依頼があれば、受けるということをごく普通に続けていました。

そうした環境の方が、自身で曲を発表するより曲に注目が集まるという認識か

私はゴーストライターとしての役割を果たすためには、やはりそれが知られてはならないので、なるべくそれがやりやすいような状況を望んだのは否めません。

今回、佐村河内さんは芸術的な共作者という位置づけか。それとも、仕事を取ってきて、世間に売り出してくれるプロデューサーという認識だったか

彼は、実質的にはプロデューサーであったと思います。

アイデアを私が実現する。

ただ、それを彼が自分のキャラクターを作り、世に出したということ。

彼のイメージをつくるために、私は協力をしたということだと思います。

実際彼は譜面をかけたのか

書けません。

広島の被爆者の方についてどう思うか

音楽とは別に、広島の被爆者の方々に対する思いはございます。

それを音楽で表現をするということもあるかもしれません。

あるいは、被爆された方への思いが、もしかしたら音楽に与える影響もあるかもしれません。

今それは非常にあいまいです。

はっきりメッセージ性を持たせて作るというやり方は私自身はあまり、自分の名前で出すときはとっておりません。

「ゴーストライターが前に出てはいけない」と先ほどおっしゃっていた。とはいえ、これだけご自身の曲が評価されると、自分が書いたといいたくなると思う。葛藤はあったか

自分の作品が演奏されて、多くの方々が聞いてくださるということは、非常に嬉しいことでした。

なのですが、この場合は、それをどう自分の中で受け止めていいのかということは、ちょっと分かりませんでした。

高橋選手が「ソナチネ」をやることをどういう経緯で知ったか

私はそのことを知ったのは、おそらくずいぶん後のことだと思います。

発表されてから何となく聞こえてきたということでした。

テレビの報道です。

高橋選手が「曲目を変更しない」と発表したときの気持ちは

高橋選手があの曲を選んでくださったというのは、私にとって大きな喜びでした。

そして、高橋選手がこのような事態にも関わらず、なおこの曲を選んで下さり、その曲で踊ってくださることを聞きまして、非常に嬉しく思いました。

今後何らかの裁判を起こす可能性と、これまで発表されたCDの名義変更については考えているか

今まで彼の名義で発表されたものは、もうそういうものだと私は思っています。

裁判を起こす考えは

私の方からは考えておりません。

このまま佐村河内氏個人の名前で残っていいということか

それで皆様が納得されるかは分かりませんので、それはお答えできません。

〈その後、週刊文春に記事を寄せた神山典士氏があいさつ。「義手のバイオリニスト」が「ソナチネ」を演奏する映像が会場に流れ、新垣氏はそれを見ていました。激しいフラッシュがたかれるなか、新垣氏は伏し目がちに会場を後にしました。〉

佐村河内氏の代理人を務める折本和司弁護士が新垣隆氏の会見内容に反論

聴力を失った作曲家で「現代のベートーベン」と呼ばれる佐村河内守(さむらごうち・まもる)氏(50歳)が実際は曲作りをしていなかった問題で、佐村河内氏の代理人を務める折本和司弁護士が2月6日、横浜市内で報道陣の取材に応じました。

これに先立ち、佐村河内氏のゴーストライターを務めていたと公表した桐朋学園大非常勤講師の新垣隆氏(43歳)が都内のホテルで謝罪会見。

新垣氏が「私の感覚では耳が聞こえないと感じたことは一度もありません」と、佐村河内氏は耳が聞こえていたとする発言をしたことについて、代理人は「ご本人が耳が聞こえないのは本当だろうと思っています」と反論しました。

障害者手帳(聴覚障害2級)に関しても「私たちも(手帳を持っていることを)確認しています。彼の場合は唇の動きが非常にゆっくりしているので、彼との間では会話は手話なんかは使わなくても成り立つ」と“疑惑”を否定しました。


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