第二次大戦終戦直後に経験した日本の厳しい債務調整の実情 (3)

戦時国債
戦後の国内債務調整(デフォルト)の中心となった政策の内容を順に確認します。

一度限りの大規模課税である財産税の課税対象としては、不動産等よりはむしろ、預貯金や保険、株式、国債等の金融資産がかなりのウエートを占めました(図表3)。

財産税課税財産価格

課税財産価額の合計は、昭和21年度の一般会計予算額に匹敵する規模に達しました。

また、本税の実施に先立って作成された、階級別の収入見込み額をみますと(図表4)、国民は、その保有する財産の価額の多い少ないにかかわらず、要するに貧富の差なく、この財産税の納税義務を負うこととなった点がみてとれます。

財産税 階級別見込み額

税率は最低25%から最高で90%と14段階で設定されました。

1人当たりの税額は、もちろん、保有財産額の多い富裕層が突出して多いのですが、政府による税揚げ総額の観点からみますと、中間層が最も多くなっています。

このように、財産税という漢字の印象からは、ともすれば富裕層課税を連想しがちですが、実際にはそうではなく、貧富の差を問わず、国民からその資産を課税の形で吸い上げるものであったといえます。

なお、当時は新憲法制施行前で占領下にあり、こうした措置は、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の承認を得て、法律案を衆議院に提出、可決される形で行われました。

このように、国による国民の資産のいわば「収奪」が、形式的には財産権の侵害でなく、あくまで国家としての正式な意思決定に基づく「徴税権の行使」によって行われた点に留意する必要があります。

そして、そのようにして徴収された財産税を主たる原資として、可能な限りの内国債の償還が行われました。

図表1で、国債の現金償還額が終戦後、ケタ違いの額に伸びていったことは、このような異例の大規模な財産税課税によって、可能な限り国債残高を削減しようとしていた事実を物語っています。

こうした財産税課税に先立ち、昭和21年2月17日には、預金封鎖および新円切り替え(注)が断行されています。

新円:旧円の交換比率は1:1でした。

日銀や民間金融機関も含めて極秘裏に準備したうえで、国民向けの公表は実施の前日16日に行われ、わずか1日で実施に移される、という荒業(あらわざ)でした。

(注)預金封鎖とは、銀行預金など金融資産の引き出しを制限すること。わが国の場合は新円切り替えと同時に実施され、約半年後に第一封鎖預金と第二封鎖預金に分割されました。封鎖預金からの新円での引き出し可能な金額は、個人の場合、月額で世帯主300円、世帯員1人各100円でした。

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