第二次大戦終戦直後に経験した日本の厳しい債務調整の実情 (1)

戦時国債

国の財政運営が行き詰まり、立て直しの為の策が尽きた場合、最後の手段として2つの方法があります。

①非連続的な対外債務調整(対外デフォルト)
ギリシャの事例等があり、その実態や顛末は一般にも比較的よく知られています。

②非連続的な国内債務調整(国内デフォルト)
不都合な事実は対外的に隠したがるので詳細があまり明らかにされていません。

財政当局監修でまとめられた『昭和財政史 終戦から講和まで』(東洋経済新報社)シリーズ等における記録を基に国内債務調整における事態の展開を追ってみましょう。

1945(昭和20)年8月15日の第二次大戦終戦の時点で、わが国の財政は軍事関係の支出によって大きく拡大し、財政運営の継続はすでに困難な状態に陥っていました。

第二次大戦をはさんだ昭和期の国民所得と物価上昇率、国債残高等の推移は図表1の通りです。

国債借入金残高

国債に借入金も含めた政府債務残高の規模(対国民所得比)は、1944(昭和19)年度末時点ですでに約267%に到達していました。

加えて、戦時補償債務や賠償問題があり、政府債務の全体像の確定は困難な状況にありました。

大戦前からのインフレが大戦中さらに加速し、敗戦時の国民の財産・資産は、事実上、現預金に尽きるといっても過言ではない状態でした。

昭和初期において、わが国の国債の約4分の1は外国債(利率は内国債よりかなり高め)が占めていた時期もありましたが、戦時中の1942(昭和17)年から外国債の利払いは停止されました。

わが国は対外デフォルト(債務不履行)状態に陥り、その後1952年まで継続しました。

国債の構成も、終戦の時点では、金利水準を人為的に低く抑えた内国債が残高の99%を占め、そのほとんどを日本銀行と預金部(政府)が引き受ける状況となっていました。

わが国が降伏文書に調印した9月頃から、極めて切迫した財政・経済・金融状況を抱え、大蔵省内部で、専門の財政学者等を交え、具体的な対応策が検討されていきました。

1946(昭和21)年度予算を概観しますと、普通歳入120億円に対し、歳出は172億円、うち78.3億円が臨時軍事費借入金利子や補償金利子も含めた国債費でした。

大蔵省内では、①官業および国有財産払い下げ、②財産税等の徴収、③債務破棄、④インフレーション、⑤国債の利率引き下げ、が選択肢に上るなか、GHQによる押し付けではなく、あくまでわが国自身、財政当局の判断として、「取るものは取る、返すものは返す」という原則に象徴される対応が決定されていきました。

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