ロシア危機では国債の買い入れ(マネタイゼーション)が行われた

ロシア危機
1991年12月、旧ソビエト連邦の崩壊に伴い、ロシアは社会主義経済から市場主義経済へ移行しました。

しかし、その道筋は平坦ではなく、移行当初から経済は低迷し、財政は慢性的な赤字になっていました。




失業率も年々上昇する傾向が1990年代の半ばを過ぎても続いていました。

もともとロシア国内の企業は、それまで社会主義経済下の競争のない環境で操業していたため、生産効率が極めて劣っていました。

本来であれば、これらの非効率な企業は市場の原理で退出させなくてはいけないのですが、ロシアでは国が補助金を出し、これらの企業を延命させたことにより、国の借金がどんどん増えてしまう構造になっていました。

当時のロシアでは、輸出の80%を石油や天然ガスなどの天然資源に依存していました。

これらの天然資源は世界経済の影響を受けやすいのですが、1997年のアジア通貨危機によって、主要輸出産品の価格が大きく下落し、財政悪化に拍車がかかって、ついには危機に陥ってしまったのです。

債務の支払いに困ったロシア政府がやったのが、中央銀行による国債の買い入れ、いわゆるマネタイゼーションです。

中央銀行に国債を売って得たお金を、政府が債務支払いに充てるという、自転車操業が行われました。

マネタイゼーションを行い、中央政府が国債を購入すると、自国通貨が下落します。

ロシアの場合は、ルーブルが下落しました。

自国の通貨が安くなれば、輸入品価格が上昇するので、その影響で国民生活が圧迫され始めました。

もちろん、景気にも悪影響が及んで、企業活動は停滞し業績が悪化しました。

銀行のほか、金融機関もあおりを食って業績が低迷しました。

金融機関の場合、国債も保有しているので、財務内容が非常に厳しくなり、いわゆる金融システム不安の状況に陥ったのです。

この間の経済データを見ていると、財政危機の傷跡がくっきりと残されています。

1998年には、経済成長率がいきなり落ち込んでいます。

また、それまでも上昇を続けていた失業率は、さらに拍車がかかって1999年に史上最高の13%を記録するに至ったのです。

このように、財政危機で大変な目にあってしまったロシアでしたが、立ち直りには意外に時間がかかりませんでした。

通貨が下落したことによって輸入品の値段が高くなる一方、自動車産業や軽工業などの国内製品の競争力が相対的に増し、輸入品を代替するようになったので、経済が活性化しはじめたのです。

また、ルーブルが安くなった関係で、天然資源をはじめとした輸出が大幅に伸び、これもまたロシア経済の急速な回復を後押ししました。

とくに1999年頃からは、中国などの新興国の経済成長が始まり、原油をはじめとした天然資源の価格が上昇しはじめ、ロシア経済を潤しました。

このような幸運にも恵まれ、財産危機の実体経済への影響は、ロシアでは一時的なものにとどまったのです。


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