2014年夏公開のジブリ新作映画「思い出のマーニー」原作あらすじ

思い出のマーニー
スタジオジブリの新作が、米林宏昌(よねばやしひろまさ)監督が手がける「思い出のマーニー」に決定しました。

脚本は米林さんのほか、「コクリコ坂から」「海が聞こえる」脚本の丹羽圭子(にわけいこ)さん、「パプリカ」「ももへの手紙」作画監督の安藤雅司(あんどうまさし)さんが担当。

音楽は「大奥」「アントキノイノチ」を手がけた村松崇継(むらまつたかつぐ)さんが担当します。

配給の東宝が12月12日、都内の同社で行われたラインナップ発表会で発表しました。




イギリスの作家ジョージ・ロビンソンの児童文学「思い出のマーニー」が原作で、映画では、日本を舞台に置き換えて描かれることになるということです。

興行収入92億5000万円の大ヒットを記録した「借りぐらしのアリエッティ」(2010)に続き2作目となる米林監督は、1996年にスタジオジブリに入社しました。

米林宏昌監督

「千と千尋の神隠し」のキャラクター、カオナシのモデルだったことでも知られていますが、「ハウルの動く城」「崖の上のポニョ」「コクリコ坂から」「風立ちぬ」などで原画を担当しています。

プロデューサーは鈴木敏夫(すずきとしお)さんに代わり、「かぐや姫の物語」のプロデューサーを担当した西村義明(にしむらよしあき)さんが務めます。

「思い出のマーニー」は、2014年夏に全国で公開されます。

イギリスの作家ジョージ・ロビンソンの児童文学「思い出のマーニー」のあらすじ

両親を交通事故でなくした幼い少女アンナは、唯一残された祖母にも先立たれ、養い親に育てられていました。

養夫母から愛情を受けて生活しながらも、友人を作らず、どこか冷めた・・・言うなれば子供らしくない子供、何か心に傷を負っている事に気がついていた養母は、アンナを海辺の村の老夫婦にあずけます。

そこでも、アンナは人と馴染めず、心に感じるまま行動をはじめるうちに、一人の女の子マーニーと出会います。

マーニーとはとても気が合い毎日二人で遊びます。

生い立ち、好きなこと、嫌いなこと、少しずつお互いのことを知っていきます。

でも、マーニーが現れるのはいつも突然ですし、アンナ以外の人はマーニーを見たことはありませんでした。

そして、海岸や草原、村の色々なところで遊びながらもマーニーは何故か村の丘に立つ風車小屋だけをとても怖がり近寄ろうともしませんでした。

上巻では、アンナの生い立ちやマーニーとの出会いが描かれています。

アンナは「風車小屋には怖いことは何もない」事を自分の目で確かめれば、マーニーを安心させることができると思い、一人で風車小屋へと出かけます。

風車小屋の中は暗く、確かに怖いところでしたが、マーニーの為にアンナは奥へと進んでいきます。

すると上の階に人影を感じ、おそるおそる見てみると、そこにいたのは他でもないマーニーでした。

そして、話は思わぬ方向へ進んでいきます。

物語はアンナの成長と人の良心、人生についてが綴られていて大人が読んでも奥深い内容です。

宮崎駿さんは原作小説について次のようなコメントを寄せています。

この本を読んだ人は心の中にひとつの風景がのこされます。

入江の湿地のかたわらに立つ一軒の家とこちらを向いてる窓。

何年もたって、あなたが大人になって、この本のことをすっかり忘れてしまっても、その家はあなたの中にずっとあり続けます。

そして、いつかその窓に出会います。

旅をしてはじめて見た家なのにずっと前に見たことがあるような気がして懐かしいような切ないような気持ちになって突然マーニーのことを思い出すのです。

これはそういう本です。

上巻は情緒豊かで内面的な世界を丁寧に描いた感じ、下巻は止まっていた時間・モノクロ画像のようだった上巻の景色・心が動き出し、ミステリーでもないのに謎解きまであって、少しずつ彩色されていくような感じで、ミステリアスな物語です。

この物語の主人公アンナは「自分の殻」から抜け出すことができずに苦しんでいる女の子。

その殻は決してアンナが独り勝手に作ったものではないのですが、その殻に苦しんでいることを自覚しているにもかかわらず、それを自力で割ることが出来ないほど固くしてしまったのはアンナ自身でした。

アンナにはうまく説明できないものの、目には見えないある種の「自分とは相容れないもの」を「世間」とでも呼ぶべき集合体に対して感じています。

これは自我に目覚め始める頃に多くの人が感じる疎外感みたいなものです。

それは「自分のことがわからない苛立ち」であることが多いのですが、アンナの場合は少しだけ違っていて、彼女は自分のことを良くわかっています。

そこから踏み出したいと思っているのに、その術(すべ)を知らない女の子なのです。

自分だけに向けられる揺るぎない愛情を誰からも感じられないこともあって、学期の途中で美しい海辺の小さな村リトル・オーバートンに転地療養に行くことになった際にも、アンナは「どうにも手におえない子の厄介払い」だと感じてしまうのです。

アンナが可愛そうなのは、そう思って傷つきながらも、本当はそうではないことを心の奥底のどこかでちゃんと察しているところです。

腫れ物に触れるように接してくる、本心を語ることのない大人たちには素直になれません。

独りでいても寂しくなんかないし、友達がいないことすら苦痛に感じません。

自分を残して死んでしまった母や祖母を恨み、その死の背景など知ろうという気にもなれません。

なぜなら、自分の事も、自分を取り巻く大人の事も、その根っこにある本質的なものを瞬時に見抜き察してしまうからです。

アンナは「見抜いたこと」に傷ついてしまう繊細な心の持ち主です。

自分を必要以上に傷つけないために自分を守る殻を固くする必要があり、無表情な「ふつうの」顔を保とうとします。

「いい子にしてね。愉快に暮らしていらっしゃい。そして・・・、 そう、日に焼けて元気に帰っていらっしゃい」

こういうと、 ミセス・プレストンは片手をアンナの首にまわして、 さよならのキスをしました。

こうすることで、アンナが「温かく安全に守られ、大切に思われている」 と感じてくれるように願いながら。

けれども、アンナにはミセス・プレストンが、 そう感じさせようとして、そうしているのがわかりました。

「やめといてくれればいいのに」とアンナは思いました。

かえって、2人の間に壁ができてしまって、もう、普通に「さよなら」が言えなくなりました。
(本文より転載)

物語の前半は、海辺の洋館に住む不思議な少女マーニーとの出会いと、マーニーと過ごす秘密の時間の中で、アンナが少しずつ自分と向き合い、心がほぐれていく様子が描かれています。

ようやくできた心を許せる友達だったマーニー。

でも、村人たちは誰一人としてマーニーのことを知りません。

そんな中「風車小屋事件」とでも呼ぶべき事件が発生し、結果的にアンナはマーニーと別れ別れになります。

そして後半、マーニーと別れたアンナは彼女と一緒に過ごした時間の思い出を糧に、少しずつ少しずつ彼女が「内側」と呼んでいた世界とも向き合うようになっていきます。

物語の後半、いなくなってしまったマーニーの正体や、 アンナが決して知ろうとはしなかった彼女の生い立ちの物語等々が明らかになります。

それら全ての謎の鍵をにぎるギリーというおばあちゃんが次のように語ります。

「あなたがたが私ぐらいの年になれば、これは誰のせいだとか、あれは誰が悪かったからとか、 そんなことは言えなくなりますよ」

この言葉によって「自分が内側にいるとか、外側にいるとか、 それは、自分自身の中でどう感じているかによること」とアンナは気がつきます。


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