「クリスマスと正月が同居する日本」 僧侶の松山大耕氏 TEDxKyoto2014

僧侶の松山大耕氏 TEDxKyoto2014
クリスマスを祝い、除夜の鐘を聞き、神社へ初詣をする日本人の宗教観は、しばしば世界から疑問視されます。

しかし、僧侶の松山大耕氏はこの日本人の寛容性こそが宗教の本質をとらえていると言います。




宗教上の問題で争いが絶えない世界に対し、日本の宗教観を発信していく必要性を語りました。

松山大耕氏:私は今から35年前、ここ京都のお寺で生まれました。お寺の子どもとして育ちましたけれども、中学校、高校はカトリックの学校に行っていました。

(会場笑)

お寺に生まれながら、キリスト教の教育を受ける。これは非常に珍しいことではありましたけれども、家族親族、友達含め皆温かく見守ってくれました。

大学時代に私アイルランドに行ったことがありました。アイルランドは、ご存知の通り敬虔なカトリックの国ですけれども、そこのある田舎のB&Bに行ったところ、おかみさんに私の生い立ちを説明しました。

するとおかみさんは急に顔色を変えて、次のように言いました。「あなたの国ではなんでそんなことができるの? アイルランドでそんなことをやったらあなた殺されても文句を言えないわよ!」と。

こういう風に言われてしまいました。私はすごく若かったので、残念ながらそのおかみさんに全く反論することができませんでした。

日本人の宗教観は、非常に独特なものがあります。例えば多くの日本人は、キリストの誕生日であるクリスマスをお祝いし、年末にはお寺で除夜の鐘を聞いて、そしてお正月には神社に初詣に行きます。日本以外の方からは、なんて節操の無いと言われることもあるんですけれど、しかしここ日本ではこういった宗教の寛容性というのは一般的です。

私はこの宗教の違いというのは、食の違いと似ているんじゃないかなと思っております。例えば、和食と洋食の違いを考えてみましょう。洋食のコース料理を頼みますと、メインディッシュというものが出てきます。そのコースのハイライトですけども。和食にはこういったメインディッシュというものはありません。

例えば伝統的な懐石料理を注文しますと、先付、椀物から最後のご飯に至るまで「メイン」という考え方はありません。私は、この食と同じように、日本人の宗教観も、ある特定の宗教だけを特別視するのではなくて、全ての宗教に共通する倫理観もしくは哲学、こういったものを日本人は大事にしていると思います。

ですから、日本人の宗教観というのはBelieve in somethingではなくて、Respect for somethingもしくはRespect for others、こういうスタイルが日本人の宗教観です。ですから日本では色々な宗教を信じている方がいらっしゃいますが、お互いに尊重していますし、実は私がいる妙心寺でも、神社の神様にお経をあげる機会も結構あります。

そして、お寺の中に神社があるところもたくさんあります。ですから日本の仏教というのは非常に特異な形をとっています。例外はありますけれども、日本のお坊さんは妻帯を許されていますし、修業中はお肉、お魚を謹んで精進料理をいただきますが、修業が終わってしまえば特別厳しい戒律はありません。

しかしこの日本では、ものを残すもしくは無駄にする、こういったことは非常に敬遠されます。

もしこの仏教発生の地であるインドの方が日本の仏教をご覧になったら、これは仏教じゃないんじゃないかとおっしゃるかもしれません。インド、東南アジアを中心として信仰されている上座部仏教では、戒律の順守、それから経典の学習、瞑想の修業。こういったことを目的とされています。

しかしここ日本の仏教は、先祖供養、普段の生活の中での礼節を敬う、こういったことを重視しています。

もし、私たちが1500年以上かけて築いてきたスタイル、これを仏教じゃないと言うんだったらどう呼んだら良いのでしょうか。やはりどうしても、「日本の仏教」と呼ぶしかないと思います。

日本の仏教は中国、それから日本の古来からの宗教である神道の影響を受けて、日本にふさわしい形で洗練されてきました。ですから、もともとブッダが始めた原始的な仏教とは実践の方法は違いますけれど、インドにしろ、東南アジアにしろ、ここ日本にしろ、その根底にあるのはブッダが唱えられた素晴らしい哲学と教義に基づいています。

私は、日本とインドの仏教の違いというのは、実はカレーに似ているんじゃないかなと思ってます。

インドではこのように、非常にスパイシーで辛いカレーをみなさん召し上がります。カレーもインドが発祥の地なんですけども、インドの方が日本の私たちが食べ慣れている甘くてまろやかなカレー、好きな方たくさんいらっしゃると思いますが、あのカレーを召し上がったら、これはカレーじゃないじゃないかと、こうおっしゃるかもしれません。

じゃあ私たちが慣れ親しんでいるこのカレー、これ何と呼んだら良いのでしょうか。私たちやはりこれを「日本のカレー」と言うしかないと思います。

確かにこの、調理法、具材は違うかもしれませんが、このルーにお肉やお魚、そして野菜を入れて煮込んでご飯もしくはパンと一緒にいただく。このスタイルはインドでも日本でも共通しています。

私は、私ごとですが、大学時代に農学部におりました。農学部時代にカレーに関するある実験を行ったことがあります。どういう実験かというと、まず部屋を2つ用意します。まずひとつ目の部屋は日本の夏の気候のようにすごく暑くて、しかも湿度が高い高温多湿の部屋を用意します。

もうひとつの部屋は、インドのようにすごく暑いんだけれど、湿度のない、からっとした気候の部屋を用意します。そこに、世界中から集まられた留学生も含めた30人の学生さんにしばらく居てもらって、その部屋の中でインドと日本のカレー両方食べ比べてもらいました。

そしてどっちがおいしいかを判断してもらいました。すると、日本の部屋で食べた学生さんの30人のうち20人以上の方が日本のカレーの方がおいしいという回答がありました。

同じこの30人が別の日に今度はインドの部屋でカレーを食べた際には、インドのカレーのほうがおいしいと言った学生さんが30人中20人以上いらっしゃいました。

つまり、日本の部屋で食べた場合は日本のカレーが、インドの部屋食べた場合ではインドのカレーを食べた方がおいしいという回答が得られた訳です。このように、食というのは、その土地の気候、風土といったものに大きく左右されます。宗教も同じで、気候、風土、それから歴史、文化、伝統といった色んな要素でその国にふさわしい形に洗練されてまいります。

私たちが馴染みのあるこの日本人の寛容性のある宗教観。私はこれを世界の皆さんとシェアできれば、世界の皆さんに素晴らしいアイディアを 提供できると強く信じております。

今から数年前になりますが、兵庫県に尼崎という町があります。そこで素晴らしく画期的なFMの番組が始まりました。

この番組、タイトルはずばり「8時だよ! 神様仏様」と言います。

(会場笑)

もともとはですね、これ「8時だよ! 神仏集合」だったですけど。まぁそれはいいとしまして(笑)。

これはどういう番組かといいますと、毎週水曜日8時から30分の番組なんですけれども、ご覧のようにあるリスナーからのお悩みを、神社の神主さん、仏教のお坊さん、キリスト教の牧師さんこの3名が一緒になって解決するという番組なんです。

(会場拍手)

ありがとうございます。これ非常に画期的で、ある宗教のお坊さんがある特定のものに対して回答する。これはあり得る話だと思うんですけど、全く宗教の違うお坊さんが3人集まって、ひとつのお悩みを解決していくというのは前代未聞ですし非常に画期的なプログラムです。

リスナーの方にしてみれば、ひとつの固定化された回答だけではなくて、世の中には色々な解決方法があるのかと思って非常に安心感が得られます。

そしてもうひとつ、今年の2月ですけれども、私が提案しましてここ京都でこれまた画期的な素晴らしいイベントを開催いたしました。それが、これ宗教者駅伝です。

(会場笑)

駅伝というのは日本人に非常に馴染みのある競技ですが、実はここ京都で100年前に生み出された競技です。世界を代表する宗教都市京都、そして駅伝の発祥の地であるここ京都。

ここに世界中から色んな宗教家、お坊さんに集まっていただいて、宗教家だけでつなぐ駅伝を開催したんです。これは宗教対抗ではなくて、例えば第1走者は神社の神主さん、第2走者は仏教のお坊さん、第3走者はキリスト教の神父さん、第4走者はイスラム教のイマームというふうに、宗教をミックスして、ひとつのタスキをつなぐというのを、複数チームを作ってこの駅伝を開催したわけです。

現代では、宗教のお互いの理解が必要だということで、対話、対談ということも行われていますけど会議室で対談してもなかなか発信力がありませんし、この駅伝というのはパッと見てわかりますから、市民の皆さんと走りますので一体感がある。

そして直接的にメッセージが伝わります。それからこれは走らないといけないので、必然的に若い宗教家が活躍できるということになります。

実はこれ京都だけではなく、ヨーロッパのルクセンブルクでも同じコンセプトの駅伝が開催されて、駅伝を介して世界の宗教の融和を図ろうという動きが今、世界に広まりつつあります。ですからこの混迷を極めた世の中で宗教家自らが身を削って、身を挺して宗教の融和を図っていくことが非常に大事なことだと思っております。

さて、もし私が今、大学時代にお会いしたアイルランドのB&Bのおかみさんに再会する機会があれば、今だったら堂々と自信を持って言えると思います。

確かに全ての宗教において、その教義に忠実である、守ること、それは非常に大事なことです。しかし世の中にはもっと大切なことがあります。

それは信じる宗教が違っていても、お互いを尊重し、そして仲良くするということです。日本では色々な宗教を信じている人がいますが、宗教が違うからといって、争いやもめごとといったことはほとんど起こりません。

しかしテレビでニュースを見ますと、世界を見渡しますと、ひとつの宗教を信じるあまり他の宗教の方と争ったり罵り合ったり、そういう場面が放映されます。しかし私はそれは本末転倒だと思います。

宗教の本質は盲目的にひとつのものを信じることではありません。世界にはたくさんの人がいて、それぞれ皆さん感謝の気持ちを持って、安心感を得て、そして自分の人生を全うする。その助けを提供するのがこの宗教の役割です。

ですから宗教の本質、役割というのは安心感を与えることです。ここ日本では様々な宗教がありますけれども、それぞれ尊重して、皆さん平和に安心感を持って過ごされています。

しかしながら世界には色々な地域があります。そして色々な文化、伝統があります。ですからこの安心感を感じる方法はひとつじゃなくて良いと思います。色んな方法があって良いと思います。

私この2年ほどで、前のローマ法王にご招待いただいてバチカンに行ったり、この4月にはここ京都ではダライラマ猊下にご招待いただいてシンポジウムに参加させていただきましたが、世界の宗教家が実はこの日本の宗教観に非常に期待されています。

ですから私は世界でも冠たる宗教都市ここ京都から、日本人のもつ素晴らしい寛容性のある宗教観、これをぜひ世界に伝えたいと思います。そうすれば世界はもっと素晴らしくて素敵な場所になると私は強く信じております。ありがとうございました。


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