嫌な気分、ネガティブな感情には機能的な働きがある

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個人主義とは西洋先進諸国の文化を表す言葉です。

個人主義は分析の最小単位を個人に求めます。




アメリカは世界で最も極端な個人主義が根付いている国です。

ここには良いところがたくさんあります。

そして「人は個性的であれ」と言われます。

個人が自由にリスクを負うことも独自の幸福を追求することも出来ます。

その結果、個人主義の国では発明や創造性が生まれ利益を生むのです。

しかし社会保障はあまり充実していません。

人と衝突する割合も多く、離婚率も高くなります。

とは言え、個人主義は普段、私たちが生きる良く知っている文化です。

対極にあるのが集団主義です。

集団主義は分析の最小単位を集団に求めます。

大抵は家族になります。

個人的な目標が集団の目標と相反するとき個人的な目標は二の次にするよう期待されます。

集団の目標が優先されるのです。

集団主義にも良いところがあります。

一定の社会的調和が保たれ協力して働くことに優れています。

しかし集団主義は個々でリスクを負う能力や創造性といった個人主義のメリットを犠牲にすることがあります。

2つの文化を比較して面白い点は感情についてです。

個人主義の文化はポジティブな感情をさらに上昇させようとする傾向があり、非常に強いポジティブな感情を頻繁に感じています。

対照的に集団主義の文化ではポジティブな感情が発生するのが低い傾向にあります。

アメリカ人なら「喜び夢中になれるもの」「愛」を求めるでしょう。

日本人なら「充足感」「調和」「絆」「平和」を求めるでしょう。

どちらもポジティブな感情が自分の内部から起こっています。

しかしアメリカ人はポジティブな感情が表れる強度が強く、日本人は弱いとされています。

もうひとつ興味深い違いがあります。

日本を始め環太平洋地域の儒教国、東アジアの集団主義の国ではネガティブな感情をより大きく捉えているということです。

つまりネガティブな感情があっても構わないと考えているのです。

そしてネガティブな感情も基本的な感情の一部分と捉えています。

アメリカ人と違いネガティブな感情を受け入れる仕組みになっているのです。

幸福の在り方が国によって様々なように、立ち直る力もそれぞれに違いがあることが分かっています。

日本人の場合、困難は一人で克服するよりも、みんなと一緒に克服する方法に長けています。

それは私たち日本人が長い歴史の中で多くの困難と強く向かい合ってきた結果得たひとつの方法だったのかもしれません。

嫌な気分、ネガティブな感情には実は機能的な働きがあります。

たとえば「罪悪感」

なぜなら「罪悪感」とは軌道修正装置のようなものだからです。

モラルや自分の価値観に反することをすると、それを「正せ」と警告してくれます。

「怒り」もあなたやあなたの大切な人に危険が迫っていると教え「行動を起こし、大切な人を守れ」と奮い立たせてくれます。

「悲しみ」は一時撤退して状況を確認し、再起を図るチャンスです。

これらは全部ネガティブな感情ですが、どれも非常に機能的です。

しかし時間の問題があります。

たとえば、万引きをしたら罪悪感を持つのは当然ですが、そのあとの人生、ずっとそれを引きずっていたくはないでしょう。

罪悪感を強く感じすぎて自責の念に負けて生きる人間がいいわけではありません。

もちろん人間は自分が犯した精神的な罪に対して長い間、過剰な罪悪感を持ってしまうこともあります。

これには「一週間以上悩んでいたら、あなたは正気ではありません」などといった明快な基準はありません。

しかし人はネガティブな感情が残ると破壊的になることが分かっています。

だからネガティブの経験を回避しようとするのです。

「人は楽しい、あるいは素敵な望ましい人生を送りたいものだ」という前提には大賛成です。

ほとんどの人はそういう人生を送れます。

ただ、ごくたまに短い間だけネガティブな感情を経験するのは必ずしも悪いことではないとも言えます。

人が苦しんでいるとき、そのほとんどは不幸な出来事自体に苦しんでいるのではありません。

不幸な出来事について思い煩(わずら)うがゆえに苦しんでいます。

たとえば「なぜ自分がこんな目に遭うのか」とか「何故あそこに行ってしまったんだろう」とか「こんな状況から逃げ出したい」そういう気持ちが苦しみを作り出します。

「痛みは避けられないが苦しみは選択できる」という素晴らしい言葉があります。

同じものと思いがちですが、仏教では痛みと苦しみを異なる別個の現象と捉えています。

生きていれば誰もが痛ましい出来事を経験します。

それは不幸なことだし当然経験すれば傷つきます。

しかし傷を持ち続けるか、心の中でさらに膨らませ未来に引きずっていくかは、あなた次第なんです。

考え方の癖(くせ)は変えられるし、痛みを大ごとにするかどうかも自分で決められます。

痛みは避けられませんが痛みの程度はコントロールすることが可能なんです。


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