挫折・逆境の正体

HAPPY – しあわせを探すあなたへ
私たちは快適か不快か、ということを考えますね。
今日お話することの核心はそこにあります。




逆境、それは心理学的に言えば不快そのものです。
逆境に向き合う力とは、この不快感を受け入れること
であり、不快感に対処し、耐える能力をより強くする
ということです。

これは不快感を避けたり、無視したり、あるいは
逆境や挫折を無かった事にするのとは違います。

コンピューターの検索エンジンについて話を進めたい
と思います。

検索エンジンはインターネットを使うときの必需品ですよね。
でも私にとって検索エンジンは、あらゆる情報を集積した
アーカイブ、バロメーターのようなものです。
全てのものをチェックし続けている世界の測定基準なのです。

そこで私はいつも新しい概念について分析するときに
まず最初に検索エンジンで何が出てくるか試しています。

今回も「快適さ」という単語を画像検索してみました。
皆さんも「快適さ」から何を連想するか考えてください。

出てきた画像がコレです。

快適な履物
履きやすいという「便利さ」が快適そうです。

快適なスポーツジム
同じ目的で集まる人と交流できるトレーニングジムは
快適な「ふれあい」の場ですね。
他人との物理的距離は快適さに直接関係しているんです。

快適なベッド
高級ベッドの「柔らかさ」と「さわり心地」という身体的な快適さ
がイメージできます。

では「不快感」を検索したら何が出てくるでしょうか。

不快な気持ち

不快な気持ち

不快な気持ち

「不快さ」は自分の内側に、ある何かを感じます。
ほとんどの場合、顔をしかめ、閉じた体勢で体の
どこかをつかみ、眉を寄せています。

これは科学的な研究ではなく単なる事例です。
しかし、どうやら人は不快感を自分の内にあるもの
と考えるようです。

そう。「不快」とは自分の主観的なものなのです。

ところが「不快」の対極にある「快適」
つまり「便利さ」「柔らかさ」「さわり心地」は
どれも私たちの体の外にあります。

この対照的な違いには多くの人が納得できると思います。

「快適さ」は自分の外。
「不快」は自分の中。
「不快感」とは体の中に感じるものです。

たとえば筋肉痛や腹痛。
心の不安もそうです。
そう考えると「不快感」は、ある種の毒のようなもの。
ならば、どうにかして解毒しなければなりません。

【重要】
快適さは外から得るもの
不快感とは内なるもの

辛い気持ちのときに、ついついペットを撫でたり
親しい人と抱擁したりして心を落ち着けます。

快適な感覚は自分の体の外から与えられるものですが
不快感は自分の感情から湧き出てくるもの。
この感情に向き合えば逆境をコントロールできるはず。
幸福学では、そう考えられています。

実は「不快感」という心の戦いは人類の歴史上、
昔から続けられてきました。

多くの学者たちが「不快感」と、どう向き合うかについて
考察を繰り広げてきたのです。

ちょっと歴史の話をしたいと思います。
このテーマを話題にするのは私が初めてではありません。
ハムレットが雄弁に語っています。

「生きるか死ぬか、それが問題だ」

「理不尽な運命に耐え忍ぶのと
剣を取って困難に立ち向かうのと
どちらが気高い生き方なのか?」

ハムレットは重要な問いを発しています。

「起きたことに苦しむべきか、それとも受け入れるべきか」

「不快に負けないでコントロールすべきか、
それとも不快を受け入れるべきか」

長い告白の間、悩み続け、ついに答えに辿り着いた彼は
こう言います。

「死後に一抹の不安が残ればこそ
一人として戻ってきたためしのない
未知の世界 心鈍るも当然」

「慣れたこの世のわずらいを我慢したほうがマシ」

分かりやすく訳すとこうなります。

「あまりにも恐ろしい死への恐怖に比べたら
ラッシュアワーの渋滞とか駐車場が見つからないとか
日常の困難など大したことではない」

「今の人生を受け入れることにしよう」

つまり、「悲しい宿命を抱えて苦労しながら生きるよりも
今ある人生を受け入れよう」と決心したのです。

何百年も前に、このテーマが扱われたことは特筆すべきです。
心理学の黎明期にも、このテーマは扱われていました。

精神分析学者のフロイトはこう言っています。

すべての欲求を際限なく満たすことは
魅力的な生き方に見えるが、それは
用心より楽しみを優先することを意味し、
やがてその報いを受けることになる

フロイトは快適さを追求するのは素晴らしいと
十分に分かっています。

快適なベッドやエアコンを望まない人はいません。

しかし、それを求めすぎると衝動的に自分本位な
行動をするようになり、結果、刹那的な喜びしか
得られない。

長期的な成長や発展は出来ないと警告しています。

また、ドイツの哲学者ヘーゲルも「快適さ」について
言葉を遺しています。

イギリス人に対して資本主義に反対する立場から
こんなシニカルな考えを披露していました。

イギリス人が「快適さ」と呼ぶものは際限がないものである。
さらなる快適さを求める欲求は内面から湧いてくるものではなく
そこから利益を得ようとする者たちによって作られるのだ

なかなかユニークな意見ですね。
大昔に書かれたものですが核心を突いていると思います。

もし「不快さ」が内にあり、「快適さ」が外にあるのなら
その「快適さ」には際限がないと言っているのです。

「快適さ」をひたすら追求して、さぼって、それで
満たされることはあるのか?

逆境のたびに「快適さ」を持ち出して際限なく
物を買い続けるつもりなのか?

この問いは今も続いています。

逆境をどう乗り切るのか?
そのために人類がとってきたのは「不快感」を
「快感」で打ち消すという手段でした。

逆境と向き合うのではなく、無理に忘れようとしたり
他の気分でごまかそうとしたりする。
誰もがそのようにしてしまいがちです。

「不快感」をどのようにしてポジティブな感覚に変えていけば良いのでしょうか?

多くの人が仕事を失ったとか、愛犬を亡くしたとか、いろんな困難を話してくれたあと、決まってこう聞いてきます。

「これから、どうしたら幸せになれるのでしょうか?」

私からのアドバイスはいくつかあります。

1つは「今ある幸せをあらためて確認すること

ネガティブな気持ちになると不幸な出来事しか見えなくなります。

しかし悪いことばかりが起きているわけではありません。

良いことも起きているはずです。

良いことを感じて感謝すれば気持ちのうえでのバランスがとれます。

まず今、手元にある幸せに感謝しましょう。

2つ目のアドバイス。

短い間であれば、敢えて嫌な感情も味わうべきです。

人は嫌な感情からは早く抜け出そうとします。

もし、愛犬を亡くした人から「どうしたら幸せになれるのでしょうか?」と聞かれたら「今は幸せになることを考えるより悲しんでください」と答えます。

それが自然なプロセスです。

1年も2年も悲しむわけじゃない。

一時的にネガティブな感情を持つことは決して悪いことではないのです。

3つ目は「人に対する優しさと思いやりを持つこと」です。

自分のことだけを考えなくなれば人との繋がりが活発になり、幸福感が高まるのです。


カテゴリー: ライフスタイル パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。