第二次世界大戦中の日本国債の利回りは30%を超えた

日本国債
第二次世界大戦前の日本・ドイツ・イタリアは、民主主義を否定しました。

また社会主義の国々は市場経済を否定しました。

いずれの国でも結末は悲惨でした。




第二次世界大戦中のドイツと日本は、資本移動を禁止して閉鎖経済をつくり、国債を自国の中央銀行や国民に大量に引き受けさせました。

現在は原則として先進国の間では、どの国の投資家も他国に自由に投資できます。

資本は国境を越えて自由に移動できます。

しかし、大戦中のドイツと日本は、経済力が英米よりも劣り、敗戦の可能性があったため、国内の投資資金が海外に流出することを恐れました。

そのため資本移動を禁止したのです。

両国は自国民の富を引当てに戦費を無制限に拡大し、財政が破綻し、敗戦後にハイパーインフレーションに見舞われました。

市場を否定し、共産党による独裁で民主主義を否定したソ連と東欧社会主義国も、1990年前後に、経済の低迷をきっかけに相次いで崩壊しました。

第二次世界大戦前の日本のポンド建て国債利回りの上昇は、市場が日本の民主主義の後退、国力低下、敗戦の可能性を正確に見通していたことがわかります。

戦前にロンドンのシティで流通していた年利4%のポンド建て日本国債は当時の日本経済の弱さを反映して割り引かれて、国債の額面価格よりも低い価格で取引されました。

そして、当時の国際通貨制度だった金本位制(貨幣を金の準備高に応じて発行する制度)に復帰した1930年1月に6.18%だった利回りは、1931年9月から上昇に転じ、日本が金本位制から離脱した1931年12月には8.25%にまでなりました。

1932年7月、日本は資本逃避を防止するために、海外への国内資金の投資を禁止する法律を施行します。

資本移動を制限して閉鎖経済をつくろうとしたのですが、この月に利回りは9.26%に上昇しました。

そして財政法を改正し、国債の日銀引き受けを認めた1932年11月には、9.69%まで上昇しました。

1937年7月の日中戦争勃発で、日本国債の利回りは10%を突破。

ドイツのポーランド侵攻で世界大戦の始まった1939年9月には20%以上、日独伊三国同盟が成立した1940年9月には21%まで跳ね上がりました。

日本と米英の緊張の高まった1941年に入ると30%を超えます。

利回り20%以上でないと流通しないほど信用が低い債券は「ジャンク・ボンド」(ゴミ債券)と金融市場で呼ばれます。

日本国債は当時、ジャンク・ボンドとなっていたのです。

同じように敗戦国となったドイツも、1920年代にドイツで発行し、ロンドンのシティで取引されたドイツ国債の利回りが、第二次世界大戦前から20%以上に跳ね上がっていました。

一方、第二次世界大戦の戦勝国はどうだったのでしょうか。

1930年代のイギリス国債は、政府の規制があったとはいえ利回りは4~5%、世界最強の経済力を誇ったアメリカ国債の利回りは3~4%でした。

ドイツや日本とは異なり、イギリスやアメリカの国債の利回りは安定して低かったのです。

アダム・スミスが言った「見えざる手」が支配する市場は、第二次世界大戦の結末を十数年も前から予想していたのです。


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