入札至上主義を選んだ財務省の本音

日本国債
プライマリーディーラーに銀行が入れば、国債の入札はうまくいくのですが、国債市場が取引取引所ではなく相対取引である以上、マーケットを創るのは債券ディーラーである証券会社の役目のはずです。




財務省には、「なぜ市場を創るのか?」という意識に欠けています。

本来なら、「効率化されて発行コストも下がる」という考え方があってしかるべきです。

確かに完全な市場に移行すれば、短期的には不安定になったかもしれません。

ですが、長期的には安定するはずですし、金利というシグナルを発する真の“体温計”として機能するはずでした。

しかし、目先の安定、つまり国債の安定消化を最優先した財務省の決断には、運用部ショックで数々の担当者が責任を取らされたという“トラウマ”がある為なのか、あくまで入札の失敗、つまり自分たちの責任で国債が暴落することだけは避ける、という思惑(おもわく)が見え隠れします。

言い換えれば、入札で失敗して暴落するのはダメだが、流通市場で勝手に売られて暴落するのはまだマシ、という発想です。

そのほうが政治家に言い訳しやすいからです。

「政治家にどう説明するか」から導き出された方程式ともいえます。

「15年変動国債」も入札では売れたのでしょうが、それが投機的な需要であったなら、必ずどこかのタイミングで売りが出てくるのは目に見えていたはずです。

さらに言えば、現在はギリシャ危機を受けて鳴りを潜めつつあるものの、2004年以降実施している外国人投資家への販売キャンペーン(海外IR)も同様です。

多様な投資家を呼び込みたいという気持ちもわかります。

しかし、円建ての負債を持たない海外投資家に販売したところで、必ず長期保有してもらえるとは限りません。

そもそも、国内の閉ざされた談合社会で消化してきたからこそ、安定を保ってきたということを忘れてはなりません。


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