ジェノバ国債の暴落 – 1620年代に利回りが1%から6%に急騰

日本国債
15~16世紀のイタリア北部は、当時、最先端の技術が必要だった毛織物の製造、そしてワイン製造が盛んな経済力のある地域でした。




しかしイタリア北部の繁栄は、永遠には続きませんでした。

まず、ブドウの生産量が16世紀に入って頭打ちになります。

丘や山の上まで開墾され、農地を広げられなくなったためです。

さらにイタリア北部の経済力を支えていた地中海貿易が、オスマン・トルコ帝国の台頭によって遮断されてしまいます。

とどめはスペインの援助でイタリア人のコロンブスが新大陸を発見し、新しい市場が発見されたことでした。

こうした流れの中で、イタリア北部の国債金利はどのように動いたのでしょうか。

イタリア北部では、都市国家ジェノバの国債金利(4~5年物)が指標になっていました。

発行量が多く、徴税権で保証された国債であったからです。

ジェノバの国債金利は、1555年に9%に跳ね上がった後、1619年には1.125%まで下がります。

これは、確認できる長期金利の歴史において、2003年に日本の国債が1%割れを記録するまで破られなかった最低の水準です。

ところが1620年代に入ると突如として6%前後に急騰します。

ジェノバ国債の買い手がいなくなったのです。

これ以降、イタリアは経済覇権国の地位から滑り落ちてしまいます。

超低金利の後の金利急騰を経て、衰退していったのです。


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