人生は記憶の編集によって成り立っている

「あ、〇〇君だね」と名前を呼ばれただけで、「名前を覚えてくれたんだ。この人についていこう!」と やる気になったりします。
名前を覚えてくれた人がビッグネームだったら、なおさらです。

日頃から、一人でも多くの名前を覚える努力をしたいものです。
記憶術の達人に、「どうやったら簡単に名前を記憶できますか?」と聞いたら、「名前が一番記憶するのが難しい」との返答にガッカリしたことがあります。
だからこそ、名前を覚えることは価値があるのです。

名前は人生初の「呪(じゅ=のろい)」とも言われています。
脳は、「驚いたとき」に、「セーブボタンが押された状態」になるといいます。
目の前の「当たり前」を「事件」に変えることで、記憶にとどめることができるのです。




何を加えて、何を手放すことで事件にすることができるのだろうか?
それが忘れられない人生の物語を紡(つむ)ぐことができる方法と言えます。
この一瞬に永遠を宿(やど)したり、この一瞬に全ての意味を解釈させてみたりすることで、事件の目撃者に、あなたはなるのです。

人類初の膨大な情報と、膨大なコミュニケーションの中で私たちは生きています。
記憶力のキャパを越える情報に圧倒される状況下では、工夫なしでは泳ぎ渡れないような気がします。

脳の外付けハードディスクとしてパソコンやモバイルを使うことで、足りない記憶のメモリーを補うようにすると、かなりの前進ができるのではと信じています。
メールのやり取りなどで、その人の重要なことや、意味ある出来事をアドレス帳のメモ欄に残すようにしています。

「お母様は退院されましたか?」と1行メールに加えるだけで、「覚えてくれている」と、その人は距離感を縮めてくれるのです。

それにしても私は忘れっぽい。
映画を観ながらも、半分を過ぎてから、「あら?この映画、知ってる」と思い出したり、同じシーンで同じコメントをするらしい。まあ、忘れっぽいのです。

友達から、「あのとき、〇〇だったね」と言われるけど覚えていません。
忘れるのなら、そんな体験する必要はなかったのでは?と思うときもありますが、好奇心はそれを許しません。

なので、ブログを書き続けています。
人生のマーキングとして書き残しています。
あれほど、子供の頃、夏休みの絵日記が書けなかったというのに、今は綴り続けています。
すでに日課となり、写真を添付し、見ればありありと思い出すことができるよう、書き続けます。
書くことで記憶を再編集でき、人生を整える作業になっているようです。

人の話を聴くときも、メモを取りながら聞くと記憶の残り方が違います。
メモができないときは、モバイルで自分にメールを送るようにしています。

こんな経験はないでしょうか?
素敵なお話を聞き、それを次に会った人に伝えてみますが、一向に同じ感じが伝わりません。
あんなに感動したのに、自分が話すとそれほどでもない話になってしまいます。
感動の再現を上手にできません。

その理由は、なんと言葉にありました。
その人が使った言葉をそのまま使わないと、同じ厚みで話が伝わらなかったりします。
なのでメモを取りながら話を聞くことが大切となってきます。

計画や状況の把握も、紙の上でやるか、頭の中でやるかで、大きな違いが出てきます。
記憶の限界が実現の限界となり、想像の限界が可能性の限界となります。

キャパ以上の展開を望むなら、脳内だけでやるのではなく、脳の外に出してやっていきたいです。
紙を用意し、気兼ねなく自分の気持ちやアイディアを吐露してみますと、意外な展開が見え、その第一発見者として驚いたりするのです。

個人が発信源として存在するようになって久しいですが、発信力をアップする方法はまだまだ確立されていません。

発信力には、「インパクトのある言葉」「わかりやすい文章」「心に引っかかるビジュアル」「心を動かせる何か」「忘れさせない工夫」が必要です。

発信する媒体をどれにし、何と連動させ、どんなタイミングに発信し、レスポンスを随時、解析し、何を求められているのかを憶測する必要があります。

しかも、人の心は凄い速さで変化し、すでに知っているものには飽きて、次々に新しい刺激を求め動いています。

人生は記憶の編集によって成り立っています。
「やってしまった後悔は だんだん小さくなるけれど、やらなかった後悔は だんだん大きくなる」というのは林真理子さんの言葉です。

後悔なく、最高の思い出で溢れる人生は、トライアンドエラーで獲得できます。
上手くいかなかったことに足を引っ張られることなく、前に進みましょう。
失敗から学び、成功に溺(おぼ)れないように前に進みましょう。


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