幸せでありたいという執着が苦を生み出してしまう

感情たるものは水面に書いた文字のごとく、あるように見えるのに、時間の経過とともに消えていきます。仏教ではそれを「空(くう)」と呼ぶそうです。

自分の感情とどう付き合うか?お釈迦様も、すれ違いざまに頬を打たれると感情は乱れるそうですが、その感情も水面の文字のように消えてなくなるのだからと、感情のまま次の行動には移さないらしい。これをして「悟り」と呼ぶのだそうです。

仏教には「幸せ」という概念はなく、近いものには「楽」という言葉があるのだとか。「楽」とは「苦」がない状態を呼びます。幸せは悪いものではないのですが、幸せでありたいという執着が苦を生み出してしまうのだそうです。

私たちはこの感情の物語が人生だと捉えますが、それは実態のない「空」です。では、その感情の向こうにある静かな鏡面の湖が本来の意識なのでしょうか?




眠ろうと床についても頭の中の会話が止まらず、眠らせてくれないときがあります。この頭の中で展開するホログラムは、私の認識が描き出す仮想現実で、それは認識によって生み出されています。

それを判断し、認識させている部分を想像し、それらの基盤を抜き出し、意識の中でパチッと消すとホログラムの像は姿を成すことができず、雲のように曖昧なものとなります。

モワッとなったところで「オッ!モワッとなったぞと認識している、その認識している基盤も出てきなさい」と呼び出して、それもパチッと消してみます。さらに曖昧な世界へ誘われ、ホログラムは霧のようになっていきます。その霧の向こうを覗き見ると、鏡面の湖を見ることができます。

意識の源。静かなる場所。それを只々眺めながら私は眠りに落ちるのが好きです。意識が創り出すバーチャルな世界を現実だと信じ、リアリティを与えています。

ある意味、与えすぎてはいませんか?外の世界をどんなに変えようと、編集加工された意識の仮想現実を生きる私たちにとって、なんら変わらないのではないでしょうか?

静かなる意識につながり、その世界にリアリティを与えて初めて、揺るぎない平和な現実を生み出せるのではないでしょうか?


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