返報性の法則は家族や親友など長期にわたる関係においては不必要

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返報性の法則に従えば、与えた好意が小さなものでも、お返しとして大きな好意を引き出すことができるのは何故なのでしょうか。




重要な理由の1つは、恩義の感情が明らかに負担を感じさせるものであるということです。

私たちの多くにとって、恩義を受けている状態というのはとても不快なものです。

ずしりと肩に食い込むこの重荷を下ろしてみたいという気になります。

どうしてこういう気持ちになるのか、その源をたどるのはそれほど難しいことではありません。

人間社会のシステムの中では、相互に助け合うことが極めて重要ですから、私たちは恩義を受けたときに不快になるように条件づけられているのです。

他者の最初の親切に返報する必要性を無視するようなことがあったら、相互にお返しをつなげていく鎖を断ち切ることになり、その人が将来再び親切をしてくれる可能性は少なくなるでしょう。

こんなことになったら、それこそ社会の利益に反することになります。

ですから、恩義を受けた場合に、何か落ち着かない気持ちになるように子供のときから訓練されているのです。

この理由だけからしても、恩義という心理的な重荷から解放されたい一心で、小さな好意に対しても喜んで大きな好意のお返しをしてしまうのでしょう。

もう1つ理由があります。

返報性の法則を破る人、すなわち他者の親切を受け入れるだけで、それに対してお返しをしようとしない人は、社会集団のメンバーから嫌われます。

ただし、本人の能力の面や止むを得ない状況によって埋め合わせをすることができない場合は、もちろん例外です。

しかし、ほとんどの場合、返報性の法則に従わない人は本当に人々から嫌われます。

「たかり屋」とか「恩知らず」というレッテルを貼られることは慎重に避けなければなりません。

それほど望ましくないものなので、人々はそれらを避けるために不公平な交換に甘んじてしまうことさえあります。

心の中の不快感と恥をかくかもしれないという危険性、この2つが組み合わされると、とても大きな心理的負担が生み出されます。

こうした負担という観点から考えれば、返報性の名をもとに、受け取ったもの以上のものを私たちが返そうとするのも、さほど不思議なことではありません。

また、自分がお返しをできない立場にいると、本当は他者の好意を必要としているのに、それを他者に求めたがらないというのも理解できます。

心理的負担が物質的な損害を上回ってしまうことさえあります。

さらに、他の種類の損失の危険のゆえに人は、他人からの贈り物や利益を拒否することもあるのです。

女性はよく、高価なプレゼントをもらったり、お金のかかる晩のデート代を負担してもらうと、その男性に対してお返しをしなくてはという不快な義務感を感じると言います。

一杯の飲み物をおごってくれただけでも、負債感が生まれるものなのです。

返報性の法則は、ほとんどの人間関係に適用されます。

しかし、家族や親友など長期にわたる関係においては、純粋な形の返報性は不必要であるだけでなく望ましくないものでもあります。

こうした「共有」関係では、お互いに交換されるものは、相手が必要とするものを必要なときに喜んで提供することを意味します。

こうした形の返報性においては、どちらかが多く与えたとか少なすぎるといったことを計算する必要はありません。

お互いがもっと一般的なルールに従っているかどうかが分かりさえすればよいのです。

しかし、友人同士であっても、不公平な関係が長く続くと不満が生じることもあるようです。


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