「餃子の王将」社長 大東隆行氏の突然の訃報に深く哀悼の意を表します。

「餃子の王将」社長 大東隆行氏
故 大東 隆行(おおひがし たかゆき)氏のご生前の功績をしのび、ご生涯を振り返ってみたいと思います。




1941年(昭和16年)3月8日生まれ – 2013年(平成25年)12月19日逝去

関西経理専門学校へ入学、中退後、薪炭・氷販売業の経営を経て、義兄の加藤朝雄氏が1967年に創業した「餃子の王将」1号店に1969年入店。

1978年営業本部長、1995年副社長を経て、2000年に社長に就任。

「従業員にはきれいな会社で気持ちよく働いてもらいたいから」ということと、「本社の玄関が汚かったら、店に行ったときに『汚い』と指摘できない」ため、社長就任後も毎朝6時前には出社し、本部のある会社の玄関を自身で開錠し、玄関や駐車場を掃き清めて水をまいたり、昼にはトイレ掃除もなさっていました。

また、社長専用車はあっても運転手はおらず、自ら運転なさっていました。

直営店の店長300人以上の名前だけでなくFC オーナーの名前も全て覚え、社員の誕生日には自ら選んだ自己啓発本、社員の配偶者の誕生日には花束をプレゼントしておられました。

故 大東隆行氏の経歴

1941年(昭和16年)3月8日 大阪市生まれ
1961年(昭和36年)10月 大東商事(自営)を営む
1969年(昭和44年)8月 中華料理店「王将」入店
1974年(昭和49年)7月 (株)王将チェーンを設立
1978年(昭和53年)3月 営業本部長
1980年(昭和55年)7月 (株)餃子の王将チェーンに商号変更
1984年(昭和59年)10月 取締役
1984年(昭和59年)12月 常務取締役
1993年(平成5年)6月 専務取締役
1995年(平成7年)2月 取締役副社長
2000年(平成12年)4月 代表取締役社長
2002年(平成14年)3月 営業本部長
2005年(平成17年)1月 王将餃子(大連)餐飲有限公司董事長

 >> 故 大東隆行氏が「餃子の王将」に注いだ愛情を感じる言葉たち

餃子の王将(ぎょうざのおうしょう)

京都府京都市山科区に本社を置く「王将フードサービス」が京阪神地区を中心に全国展開する、餃子を売りにした中華料理チェーンの名称。

通称は「王将」、「餃子の王将」。

大阪府を中心に、全国各地に「大阪王将」という餃子を売りにした中華料理店が存在しますが、これは「イートアンド」が展開する別のチェーン店です。

「大阪王将」は「王将フードサービス」の創業者の一族が独立して始めたものですが、その後のチェーン展開で競合し、問題となりました。

この「大阪王将」との区別のために、「京都王将」と呼ばれることがあるほか、看板に「京都」と明記してある店舗も存在します。

「餃子の王将」関連エピソード

優秀なサービスをした店舗に対しては毎月報奨金(ボーナス)を本部から贈呈する場合もあります。

接客は、接客係と調理担当が別々になっている店も増えてきていますが、今でも小スペースの店内では専属のホール係は居ない事が多く、中の調理場に居る人が調理場から出てきて直接客の元へ料理を運ぶ事もあり、客が居るスペースまで長靴姿で入ってくる事があります。

雨上がり決死隊の2人は「餃子の王将」好きで、自身のラジオ番組「雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!」では餃子の王将の店舗を借りて生放送をしました。

また蛍原徹氏は餃子を食べれば提供した店舗がわかると主張して、テレビ番組『リンカーン』の「どんだけ〜の泉」で店名当てに挑戦しましたが、言い当てたのは下北沢店のみでした。

また、2008年(平成20年)7月24日の『雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!』では「餃子の王将芸人」が特集されました。

2009年(平成21年)3月より、前述の「餃子の王将芸人」が収録されたアメトーーク!DVDの発売を記念して、DVDの宣伝を印刷したペーパーナプキンが2009年(平成21年)6月まで各店で使用されていました。

京都市出身の島田紳助氏も司会を務める番組で餃子の王将を話題にしたり「ナーホ(持ち帰り)」してきたりしました。

出町店(京都市上京区)では「皿洗いを30分することを条件でタダで食事ができる」伝統が続いています。

『取締役島耕作』3巻では同店をモデルにした「錦丸食堂」が登場、京都での会議の途中に中国家電大手出発集団の孫鋭が貧しかった留学生時代に世話になったその店を島と共に再訪し、ふたりは食後に皿洗いをしました。

「週刊新潮」2006年(平成18年)11月9日号には作者の弘兼憲史氏が出町店を訪ね、皿を洗う写真記事「とっておき私の京都-餃子の王将出町店-弘兼憲史」が掲載されました。

上述のアメトーーク!では福島善成氏(ガリットチュウ)が同店で皿を洗っています。

そもそも皿洗いは出町界隈に住んでいた同志社や京大の苦学生に腹いっぱい中華料理を食べさせてやりたいとの想いから店長が考案したものでした。

2009年(平成21年)1月26日テレビ東京系『日経スペシャル カンブリア宮殿』で特集され、2008年度(平成20年度)の日本売り上げ一位は武蔵溝の口店(神奈川県川崎市高津区)と放送されました。

2009年(平成21年)3月、世界金融危機の真っ只中に、前年同月比売り上げ14.5%増と創業以来最高の伸び率を記録しました。

2010年(平成22年)4月に日本テレビ『TheサンデーNEXT』の放送で新人研修の様子が紹介されました。

大学生の多い京都市内のある店舗では「カレーラーメン3人前」を15分以内に食べれば無料ですが、食べ切れなかった場合でも840円で食べられます。

又、別の店舗では家族連れがいることを考慮しお子様ランチメニューを提供します。

このようにいくつかの店舗では独自のメニューを提供しています。

王将は全ての店舗ごとに、地域及び店舗限定メニュー等の導入し、それぞれの地域に合った特徴を出すことで消費者に愛されると言う経営方針を持っていますが、この手法については、店舗ごとの特徴を無くしサービスを統一化するマクドナルドなどとは対照的な手法と言われます。

コナミのMSX用ゲーム「イーガー皇帝の逆襲」は、当時のコナミ本社(大阪府豊中市)の 近所に餃子の王将があり、社員がよく利用していたため、餃子1人前を表す「イーガー コーテル」からタイトルを思いついたと言われています。

京都B級グルメ覇王決定戦では「餃子の具でハンバーガーを作る」という,餃子の王将の歴史上、前代未聞の挑戦で見事に覇王を獲得しました。

2013年9月3日、金沢市の「金沢片町店」で客10人が、店員の制止を振り切って、服を脱ぐといった行為を行い、それをFacebookに投稿していたことが分かりました。

Facebookに投稿した客らは、読売新聞北陸支社のインタビューに対し、「昨年(2012年)11月末に、客に配る自分たちの店のカレンダーの写真として使うために当日の同店の責任者から許諾を得た。他の客のいない早朝に連絡を受けて、店に行って撮影をした」と話しており、また王将フードは「店員は撮影を許可したが、裸になるとは想定していなかった。撮影を止めようとしたが止められず、制服も強引に着られてしまった」と説明しています。なお問題の写真のカレンダーは客に配布されていました。

金沢片町店については2013年9月10日「これ以上営業を続けられない」として、閉店を決定しました。 この男性客には損害賠償の請求を考えています。

ちなみに、2013年10月7日付で上記の客のうち2名が、金沢中署に威力業務妨害および公然わいせつの容疑で逮捕されています。

同日、この問題を受けた社内調査で新潟市の「新潟近江店」においても、男性店員が餃子用の冷蔵庫内に入っているところが写真として投稿され、冷蔵庫内にある食材の廃棄や消毒作業を行うため、9月3日の閉店をもって営業停止としました。

この一連の問題で片町店が閉店を決めた中、近江店については9月11日から営業を再開すると発表しました。(9月10日発表)

「王将フードサービス」の沿革

株式会社王将フードサービス(おうしょうフードサービス、英: Ohsho Food Service Corporation)は、中華料理チェーン店の餃子の王将を経営する会社です。 東証一部:9936

1967年(昭和42年)12月 – 京都市中京区の四条大宮に王将1号店を出店。京都市内を中心に店舗を展開。

1974年(昭和49年)
7月 – 京都市東山区に資本金500万円をもって(株)王将チェーンを設立。
8月 – 滋賀県へ進出し、直営1号店(草津店)を草津市に出店。

1975年(昭和50年)11月 – 大阪府へ進出し、直営1号店(高槻店)を高槻市に出店。

1977年(昭和52年)9月 – 京都市山科区に本社を移転。

1978年(昭和53年)
7月 – 兵庫県へ進出し、直営1号店(阪神尼崎店)を尼崎市に出店。
12月 – 東京都へ進出し、直営第1号店(新宿店)を新宿区に出店。

1979年(昭和54年)7月 – 愛知県へ進出し、直営1号店(新瑞穂店)を名古屋市瑞穂区に出店。

1980年(昭和55年)
7月 – 商号を(株)餃子の王将チェーンに変更。
11月 – 福岡県へ進出し、直営1号店(西新店)を福岡市早良区に出店。

1985年(昭和60年)
1月~12月 – 静岡県、石川県、福井県にもそれぞれ出店。
12月 – 王将食品株式会社、株式会社王将商事、株式会社BPAシステム餃子館の3社を吸収合併。

1987年(昭和62年)1月 – 和食事業へ進出。大阪府豊中市で寿司店を展開した後、いけすの王将などを出店。

1989年(平成元年)10月 – 香川県へ進出し、高松市に1号店を出店。

1990年(平成2年)
6月 – 山口県へ進出し、1号店を含めFC4店を出店。
9月 – 鳥取県へ進出し、1号店を出店。
12月 – (株)王将フードサービスに商号変更。愛媛県へ進出(現在は撤退)。

1991年(平成3年)2月 – 徳島県へ進出し、1号店を出店。

1992年(平成4年)5月 – 高知県へ進出(その後撤退したが、2012年5月17日に再出店)。

1993年(平成5年)3月 – 株式を店頭登録市場(現・ジャスダック)に店頭公開。

1995年(平成7年)10月 – 熊本県へ進出し、1号店を出店。

1995年(平成7年)1月 – 大阪証券取引所市場第二部および京都証券取引所に重複上場。

2003年(平成15年)3月 – 群馬県へ進出し、1号店を出店。

2005年(平成17年)2月 – 中国・大連市への出店を発表。

2006年(平成18年)3月 – 大阪証券取引所市場第一部に指定替え。

2007年(平成19年)7月 – 500店舗達成。500店目は神奈川県川崎市の川崎駅東口店。

2008年(平成20年)9月 – アサヒビール(株)が筆頭株主となる。

2009年(平成21年)
2月 – 島根県へ進出し、1号店(松江学園店)を松江市に出店。
12月25日 – 宮城県へ進出し、直営1号店(仙台一番町店)を仙台市青葉区に出店。

2011年(平成23年)
7月27日 – 600店舗達成。600店目は奈良県天理市の天理インター店。
9月22日 – 新潟県へ進出し、直営1号店(新潟駅前店)を新潟市中央区に出店。
8月31日 – いけすの王将三雲店(滋賀県湖南市)を閉店。和食事業から撤退。
12月22日 – 北海道へ進出し、直営1号店(すすきの店)を札幌市中央区に出店。

2012年(平成24年)
5月30日 – 長崎県へ進出し、直営1号店(佐世保四ヶ町店)を佐世保市に出店。
11月15日 – 山梨県へ進出し、直営1号店(甲府国母店)を甲府市に出店。

「餃子の王将」 新人研修制度

スパルタ教育的とも評される内部研修があります。

具体的には山中の施設で外界と隔離され、社訓を覚える、3分間のスピーチで絶叫する、オリジナルの体操といった審査項目に合格しなければ卒業できないというもので、王将フードサービスではこれを「時代に逆行するのではないかと捉えられるが、躾をされる機会が少ない若者を学生気分から脱却させるために必要な内容だ」としています。

その様子が日本テレビ「TheサンデーNEXT」2010年(平成22年)4月11日の放送で紹介された際には、ゲストコメンテーターの弁護士・北村晴男氏は自身の高校時代の野球の部活経験と照らし合わせ「眠っている魂を引き出す」と絶賛しました。

さらに「感動した」という内容の投書が新聞に複数寄せられ掲載された一方で、ネット上では研修の内容に対し「ブラック企業」などを想起させるなどといった否定的なコメントも多勢を占め、「やりすぎではないか」「あれくらいの厳しさは必要」などといった議論を呼びました。

この放送に対する反響に対して「王将フードサービス」も公式コメントを発表しましたが、そのコメントの内容にも「社会って怖い」のような批判的なコメントや苦言を含む賛否が寄せられました。

中には「育ててもらえるのをありがたく思え」といった「王将フードサービス」を擁護する意見もありましたが、多くは「王将フードサービス」に対して批判的なものでした。

王将フードサービスの売上高は2010年(平成22年)6月に2年11か月ぶりの前年割れを記録するまでは増収を続けており、2010年3月期決算時点では9年連続となる過去最高益を更新し、売上高も7年連続の増収となったことが発表されています。

番組放送後に発表された2010年4月期の決算でも前年同月比を上回る過去最高益を記録しており、こうした売り上げの向上は「王将フードサービス」の料理の質や接客サービスが年々向上していることを示しています。

王将フードサービスの社長であった故 大東隆行氏は「自分を切磋琢磨しなければ研修にならない。愛情を持って育てたいからこそ厳しく指導している」と主張しており、実際厳しい研修を終えた後にはハワイでの楽しい研修が待っている、こまかい心遣いがあるから厳しい研修にも耐えられるのであり、この厳しい研修制度が功を奏し従業員から次々と新しいサービスや商品が提案されているとしています。

先述の議論でも、実際に「王将フードサービス」はこの方針で上手く行っているのだから、研修について部外者がとやかく言うべきではない、といった趣旨の意見も寄せられている一方、不当な厳しさは真の意味での人材育成に結びつかないという批判もあります。

大阪王将(イートアンド)

王将フードサービスとは別に、イートアンドが展開する「大阪王将」と名のつく中華料理店が多数存在します。

大阪王将は王将フードサービスの創業者の親類が独立して始めたものですが、大阪王将がチェーン展開を始め、王将のお膝元である京都にも出店したことから、事態を重く見た王将フードサービスは店舗名に「王将」の使用をさせないように求め提訴に踏み切りました。

しかし、裁判所の勧めにより、結局和解するに至りました。

和解内容については、王将フードサービスは「餃子の王将」として、また大阪王将は「大阪王将」または「中華王将」としてそれぞれ「王将」を使用できる折衷案的なものとなりました。

ただし「餃子の・・・」という下りと、赤・黄・緑を使った表示は本家である王将フードサービスのみが使用できる事となりました。

鹿児島の“餃子の王将”

鹿児島市などに“餃子の王将”を掲げる店舗が複数存在しますが、これは王将フードサービスの直接支配ではない鹿児島王将が経営するものです。

日本国内における王将フードサービスの直営及びFC以外で“餃子の王将”を名乗る事が出来るのは鹿児島王将のみです。

また、鹿児島王将は餃子の王将との間で「鹿児島県内における出店は餃子の王将ではなく鹿児島王将に一任する」旨の協定を結んでいます。

なお隣県の宮崎県にも鹿児島王将は出店でき、2011年(平成23年)3月31日に大塚店がオープンしました。

ただし、出店一任協定はあくまで鹿児島県のみである為、宮崎県には王将フードサービスもしくはそのFCによる「餃子の王将」の出店も可能です。

ちなみに鹿児島・宮崎両県には「大阪王将」も出店しています。

1978年(昭和53年)7月に、当時餃子の王将に勤務していた稲盛実氏の義弟が独立を希望していました。

それを聞いた兄の稲盛和夫氏(京セラ社長)が餃子の王将の社長に掛け合い、快諾を得たため、義姉の弟とともに鹿児島王将株式会社を設立。

1978年9月に「餃子の王将」中町店をオープンさせました。

現在は、中町店・騎射場店・西駅店・国分店・伊敷店・笹貫店・吉野店と宮崎県の大塚店計8ヶ所に店舗を構えています。

メニューも一部を除き酷似しており、一時期は熊本市などにも進出していましたが、現在は撤退しています。

なお、現在熊本市内で展開する王将は、王将フードサービスの直営またはFCです。

タイの“餃子の王将”

2006年9月17日、「餃子の王将タイランド」という店がバンコクのスクムウィット通りにてオープンしました。

この店は王将フードサービスとは無関係で、同社の元従業員が独立して設立したコスモフーズが展開する店ですが、店のロゴや店名が「餃子の王将」と酷似していたため、王将フードサービスは当惑し日本でもニュースとなりました。

王将フードサービスはこれを「偽物」と断じましたが、国外の商標問題であるため、本家本元の「餃子の王将」は静観するよりほかありませんでした。

この店のサイトの会社情報には、京都からライセンス契約がある(原文は英語)とありましたが、詳細は不明で現在は削除されています。

メニューは日本の餃子の王将と大きく異なっていて、餃子は焼き餃子ではなく、揚餃子しか出しませんでした。

結局「タイ王将」として開店しましたが、その数ヵ月後再び「餃子の王将」としての宣伝活動が目立っていたものの、2007年にバンコク店は突如閉店しました。 閉店の理由は不明です。

シンガポールの“餃子の王将”

シンガポールのカッページプラザに「餃子の王将」という店舗があります。

こちらは、「Sential Jobs Pte. Ltd」というシンガポールで日本食レストランなどを展開している日系企業によるものです。


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