今まで多くの企業がマス広告という手法に頼って物語を発信してきました。

テレビや新聞などの媒体で、発信側の意図を汲んだムード演出をしていたわけです。

消費者の欲望をそそる魔法をかけるようなものでした。

今、そうした一方的な物語は望まれていないように思います。

なぜなら、そうした魔法は繰り返されれば繰り返されるほど飽きてしまうからです。

つまり、期待効用は時間と共に低減していくわけです。

そこで新しいやり方として出てきたのが、Googleのキーワード連動型広告です。

例えば、「魚釣り」に関連する言葉を検索している人の画面や魚釣りの話題が出ているコンテンツに、釣りに関連した広告を出すとか。

消費者が検索キーワードを入力するということ自体、テレビを試聴する行為に比べれば主体的です。

たしかに、マスに対して一斉に放射するのではなく、ロングテールに小さくマッチングをさせていくというのは、広告のあり方を変えました。

しかし、テレビのムード演出の広告もうるさいけれど、ネットのピンポイント広告が検索画面にしばしば出てくると、邪魔だな、と思ってしまいます。

ところが一方、消費者コミュニティでは、消費者のポジティブなアクションが自然につながっていきますので、今までの広告とは全く異なります。

絶えず、主体的な双方向コミュニケーションの連鎖によって物語が生成されていきます。

コミュニケーションを取っているうちに、だんだんと物語の効用が増してくる。これは、とても新しいやり方ではないでしょうか。

Googleのピンポイント広告は、結局機械的な処理によって広告を表示しているだけです。

でも、消費者コミュニティは、それぞれに人間が介在して、生きた双方向のコミュニケーションを織り上げていくわけです。

ここには、単なる多数決やアルゴリズムによる処理を超えた、一種の集合知が生まれている可能性があります。

規模によって特徴が異なる消費者コミュニティ

消費者コミュニティでは、企業はそこまでコミュニティの前面には出て行きません。

エンジェルというかアイドルというか、触れられそうで触れられない存在が良いようです。

能の舞台で喩えるとシテとワキの、シテのような役割です。

シテである企業の替わりに、ワキとしてファシリテイターと呼ばれるコミュニティの司会進行役が登場して、参加している消費者に役割を提供することで、参加を促し、場を活性させていきます。

その際、重要なのはレリバンシー(関連性)です。

消費者がそのコミュニティに関与すればするほど、好きになったり購買が上がったりと、ロイヤルティが向上していきます。

関与がさらなる関与を呼ぶサイクルなのです。

消費者コミュニティの規模に応じて関与の仕方、つながり方が変わります。

それは企業の目的に応じて調整されます。

例えば、一度に多くの参加者が集まるイベントを開催する場合と深い発言を引き出すことを目的にした場合とでは、運営に適するコミュニティの規模が変わります。

発話の深さを求めるケースには、比較的小さな規模の部屋が向いています。

規模が大きすぎると、自分が発言した際、批判されるんじゃないか、無視されるんじゃないかと感じて、発話できない人も増えてきます。

参加者がコミュニティに集まる他の参加者との同質性が確認できると、発話がより活発に出てくるようになります。

同質性が会話をより具体的にするようです。

人間というのは、大規模な集団においては比較的ジェネラルな意見を求めるわけですが、少数メンバーで会話するときには具体的な話題から刺激を受けるものです。

例えば、いきなり映画のラストシーンでの「人生に大切なのは愛である」みたいな台詞を言われても「ごもっとも」で、会話が終わってしまいます(笑)。

でも、具体的な俳優の名前を挙げてその人について話し始めると、「私もその人のファンで…」とか「あの作品に出ていた時は…」などと話が広がっていきます。

企業の商品についても、「◯◯味の◯◯というアイスが好きで、いつもこういうふうに食べています」といった、小さな生活のリアリティがお互いの発話を促し、たくさんのナラティブ(物語)が生まれています。

それこそが、生きた「情報」なんです。

ジェネラルで抽象的な情報だけが、必ずしも相手を納得させるものではありません。

自身が発話するという行為を通して変化するものもあるのだと思います。

具体的な発話が出てくるような空気を演出するのもコミュニティの役割です。

その場の雰囲気は、消費者コミュニティだと、ファシリテイターに蓄積されたノウハウに頼るところが大きいです。

加えて、これまでのコミュニティ運営で蓄積されてきたデータを解析することによって、運営方針を見つけ出すということも大切です。

例えば、コミュニティの中には閲覧中心の人と、たまに来て長いコメントを投げる人と、毎日こまめに書き込んでいる人がいる、といったことがわかったとします。

するとそれぞれのタイプが、コミュニティ内のどんな話題に反応しているのかも、データが示してくれます。

発話者が多いと良い印象を受けますが、閲覧者との割合が閾値(いきち:感覚や反応や興奮を起こさせるのに必要な、最小の強度や刺激などの量)を越えると「蛸壺(外界との接触が少なく狭いコミュニティーに居るさま、閉じた社会)化」が起こり始めます。

そのサインを受けて、ファシリテイターが施策を切り替えます。

このように、データサイエンスから創出されたFact(事実)は共有可能な合理性を持つので、過去(事例)と今(状況)と未来(予測)を繋ぎ、それぞれに蓄積されたノウハウをつなぎ、暗黙知を形式知にすることができます。

人とコンピュータの共創で、新しい知が生まれる

人のノウハウとデータ分析を組み合わせることは今のビッグデータブームに、一石を投じるインパクトがありそうです。

というのも、私はすべてを機械に任せて自動的に分析しても、あまり効果はないと思っているんです。

一方で、いまや行動情報から人間の無意識のようなものまで、すべてのデータが記録される時代なのだから、その記録をデータマイニングすれば集合知が生まれるのではないか、という意見もありますが自動の分析は難しいでしょう。

コンピュータは、たしかにデータ処理は得意で、人間がやったら途方もない時間がかかるような計算をあっという間に実行する。

でも、計算結果から意味のある結果を引き出すには、人間のアイデアが不可欠なのです。

自動的に記録されたデータから、有用な知見が安定的に出てくるとは思えません。

その理由は、主体的な参加で人間は変わるからです。

コミュニティに主体的に参加することで、参加者の意識や行動が変わる瞬間を、私はこれまで何度も見てきました。

主体的に参加していない状態の意識や行動のデータをいくらとっても、有用性は低いと考えています。

コンピュータは所詮、人間が過去に書いたアルゴリズム、論理処理のモデルにしたがって動いているだけなんです。

必ず、過去のプログラムやデータにもとづいて、人間に命令されて動き始める。それに対し、人間やあらゆる生物は、主体性を持って、未来に向かって生きています。

主体であるということが、未来を向くということ。

近未来に何が起こるかなんて、誰もわかりませんよね。

一年後に隕石が落ちて地球が壊滅するかもしれない。

でも、そういうぎりぎりのところで、我々は新しい、これまでの歴史になかったものを考え出していくんです。

決まった枠のなかで機械的に物事を処理するのではなく、次の瞬間に新しいものを創れるという思いが、生きているという実感を与えてくれます。

私たちは全てが計算できる宇宙に住んでいるようですけれど、実際はそんなことはありません。

その不確かな世界で、未来を創っていくのが「主体」という存在なんです。

だからこそ、消費者コミュニティの存在意義があるのではないでしょうか。

ソーシャルメディアにおいて、企業はとても重要な役割を担うことができます。

消費者が、社会に商品やサービスをつくりだすためにソーシャルメディアに参加する。

一人ひとりの力は弱くとも、企業とつながることで、実際に自分のアイデアや気持ちが実社会に反映されます。

企業は、そういう消費者の自己実現を成し遂げるパートナーになりうるはずです。

私は、消費者コミュニティが、新たな21世紀の価値を創り出すのではないかと期待しています。

そのとき企業は、ソーシャルメディアに共同体をつくり、そこから生成する集合知を社会に具現化するエージェント的な存在になります。