複雑で重要な選択を要求されたら熟慮せずに専門家の意見を求める現代人

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「専門家がそう言うなら、正しいに違いない」という簡便法を考えてみましょう。

私たちの社会には、ある話題についての権威に見える人々のいうことや指示を盲目的に受け入れてしまう傾向があります。




つまり、専門家の発言をよく吟味したうえで納得する(または、納得しない)のではなく、その内容に目を向けずに「専門家」としての、その人の地位によって納得してしまうのです。

状況の中にある一片の情報に機械的に反応してしまう傾向は、私たちがこれまで自動的反応あるいは「カチッ・サー」反応と呼んできたものにあたります。

これとは対照的に、全ての情報を十分に分析したうえで反応する傾向は「コントロールされた反応」と呼ばれています。

情報を注意深く分析しようとする欲求と能力がある場合、人々がコントロールされたやり方で、それらの情報を処理することが多いことは、これまでに行われた数多くの実験的研究によって明らかにされています。

そうでない場合には、もっと簡単な「カチッ・サー」というやり方を使いがちになります。

たとえば、「近々、理解度を試すテストをする」と聞かされた学生は授業の内容を注意深く分析しようとしますが、「数ヶ月後に、理解度を試すテストをする」と聞かされた学生は授業の内容を慎重に検討する必要を感じません。

後者の学生は、講師が授業内容の専門家だと紹介を受けると「専門家がそう言うなら、正しいに違いない」という原則どおり、話の論点にはほとんど注意を向けませんでした。

一方、前者の学生は講師が専門家であるかどうかは関係なく、授業の内容そのものに影響を受ける傾向がありました。

私たちは「カチッ・サー」と反応すると危険だというときには、安全策をとるようになるようです。

重要な問題を前にした場合には、利用できる情報のうち、たった1つの(引き金=トリガー)特徴を受け入れて、それに反応するという贅沢なやり方の誘惑に抵抗を示すのです。

複雑な問題が多く、時間に追われ、気を散らせる刺激が溢れ、喜怒哀楽を呼び覚まされ、心理的な疲労感が強い現代においては、よく考えて反応するという頭の状況にはありません。

重要な問題であろうとなかろうと、私たちは簡便法を選択するほかないのです。

私たちは、自分では重要な問題についても熟慮せずに判断してしまうことが多い一方で、アドバイスをもらう人たち(医師、会計士、弁護士、投資アドバイザーなど)には「熟慮の末の判断を自分のためにしてほしい」と考えてしまいます。

複雑で重要な選択を前に立ちすくんでいるとき、自分では出来ないのに、考え抜かれた末の詳細な分析を求めます。

皮肉なことに、そうした分析は私たちが近道を選ぶこと、つまり専門家に頼ることによって初めて可能になります。


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