女優の淡路恵子さん、食道がんのため80歳で死去

淡路恵子
舞台や映画、テレビドラマなどで幅広く活躍した女優の淡路恵子(あわじ・けいこ、本名・井田綾子=いだ・あやこ)さんが1月11日午後5時24分、食道がんのため東京都港区の病院で亡くなりました。享年80歳でした。

葬儀・告別式の日取りは未定。

喪主は長男晃一郎(こういちろう)氏。

昨年夏に体調不良を訴え病院で検査を受けた結果、入院。療養生活を送っていました。

淡路恵子さんの生い立ちと女優としての経歴

1933年、東京・品川生まれ。

府立第八高等女学校(現・東京都立八潮高等学校)を受験し合格。

13歳の時、終戦の翌年の夏に父親が他界。

「女医にしたい」という母の願いをよそに、淡路はSKDに合格、卒業まであと数ヵ月でしたが府立第八高等女学校を退学しました。

1948年に松竹歌劇団の養成学校である松竹音楽舞踊学校に4期生として入学。

1949年、入団前の松竹音楽舞踊学校生の時に黒澤明監督に抜擢され本名の井田綾子で新東宝映画『野良犬』に映画デビュー。

1950年、松竹歌劇団に入団。

草笛光子、深草笙子と組んでスリーパールズにも抜擢され歌に踊りに大活躍しました。

1953年からは多くの松竹映画に出演。

主演したメロドラマ『この世の花』は続編、続々編と大ヒットしたため完結編まで全10部作となりました。

1954年にはマーク・ロブスン監督に見出され、パラマウント映画『トコリの橋』(The Bridges at Toko-Ri)でミッキー・ルーニーと共演。

1957年に出演した『太夫さんより・女体は哀しく』と『下町』の演技でブルーリボン賞の助演女優賞を受賞。

1960年代には東宝の“駅前シリーズ”や“社長シリーズ”のレギュラー出演など数多くの映画に出演しました。

テレビドラマでは、1961年にNHKの伝説的大ヒット・オールスタードラマ『若い季節』に女社長役で主演。

1963年に越路吹雪、岸田今日子、横山道代との四姉妹役で出演した日本テレビ『男嫌い』は数々の流行語を生み出す話題作になりました。

2011年7月に、波瀾万丈の芸能人生60年を振り返った『凛として、ひとり 弱かった自分が強くなれた瞬間』(実業之日本社・ISBN 9784408108988)を出版しました。

2014年1月11日午後5時24分、食道がんのため、東京都港区の病院で死去。

享年80歳でした。

映画監督の山田洋次さん(82歳)は1月11日、次のようなコメントを発表しました。

「高度成長期の裏で酒場で生きていく女性など、特徴のあるタイプの役を演じることができる、戦後の映画史で非常に重要な役割を担った人でした。華やかな人でしたが私生活ではお子さんを亡くされるなど、つらい人生でもあり、そういうつらい思いからもようやく解放されたのかとも思います」

淡路恵子さんのエピソード

宝塚歌劇の娘役スターであった淡島千景さんに憧れて、芸名を淡路に。

淡島千景さんのことは「お姉ちゃま」と呼んで慕っていて、『駅前シリーズ』など多くの映画や舞台「毒薬と老嬢」で共演しています。

また、プライベートでも親交が深く本当の妹の様に可愛がられ、淡島千景さんが80歳で亡くなったときには親族・関係者と共に臨終にも立ち会いました。

淡島千景さんに初めて会ったのは1949年(昭和24年)で、日劇で宝塚歌劇を初めて見て淡島千景さんに感激したことがきっかけでした。

学校をサボって4日間通い続け、どうしても千景さんに会いたくなり、楽屋に入りたいがために千景さんの妹だと嘘をつきました。

淡島千景さんとの初共演作の『美貌と罪』(1953年、松竹)では姉妹役が実現しました。

恵子という芸名は黒澤明監督に付けて貰いました。

『淡島千景 女優というプリズム』(青弓社)に収録のインタビュー内容によりますと、1954年(昭和29年)11月、映画『風と共に去りぬ』などで知られる俳優のクラーク・ゲーブルが来日した時に、彼に会っています。

越路吹雪さんとは生前、プライベートでも大親友で、越路吹雪さんが亡くなった際には死化粧を淡路さんが行いました。

山本陽子さんともプライベートで親交が深い親友でした。

大の愛煙家で芸能界有数の喫煙姿が絵になる人として、バラエティ番組等で紹介されることもあります。

芸能界屈指のゲーマーでもありました。

中でも大のドラゴンクエスト好きで、第1作目からやっていたそうです。

お気に入りは「ドラゴンクエスト8」。

後にレギュラー出演することになる『アウト×デラックス』に初めて出演した際には「ドラクエは裏切らない」と話しています。

『火曜サプライズSP』出演の際には後発の「ファイナルファンタジー6」込みでDAIGOに熱く語り、VTRを早送りされたほどです。

携帯電話の機種変更の際にはドラゴンクエストの序曲を着信音にするほど熱中していました。

また地方の公演の際には携帯ゲーム機だけではなく大型の家庭用ゲーム機をホテルに持ち込んでプレイをしていました。

ドラゴンクエストシリーズは新作が発売されるまでのスパンが長いこともあって、「一遍にやっては勿体無い」という思いから、ラストダンジョンの前で一度プレイを止め、主人公の名前を違うものに変えて最初からやり直す、ということを何十回と繰り返していたそうです。

ゲームデザイナーの堀井雄二に「早く3年ごとくらいに作ってくれないと、私、死んじゃう」と懇願したこともあります。

ドラゴンクエストシリーズ9作品目に関して、プラットフォームが携帯機に移行したことと、セーブデータが1つしか作れないため、上記のような再プレイに際してその前の古いデータを残しておけない(結局、同じソフトを買い足した)ことなどから、不満を持っていましたが、プレイ時間は300時間を超えサブロムも所有していました。

ドラゴンクエスト10は、インターネットで繋げて遊ぶことから「不特定多数の人と繋がるだなんて嫌」と発言し、その画面上に「あくまでも個人の感想です」というテロップが表示されるほど批判していますが、ドラゴンクエスト10の為にインターネットを自身で接続している事を告白しています。

休みの日には2~3日遊び続けるほどでした。

また、同じRPGでも、 ファイナルファンタジーは主人公が喋ってしまうという点で好きではなく、「喋るまではやっていた」と話しています。

また桃太郎伝説もプレイしていたそうです。

堺正章さんとは堺さんが子供の頃、父親の堺駿二さんと共に散歩しているところに遭遇していた事を公言しています。

淡路恵子さんの家族について

お父さんは海軍の軍人でした。

お母さんは茨城県久慈浜の網元の娘でした。

お母さんは、道楽者の結婚相手に愛想を尽かして子供二人を連れて東京に出て助産婦を始めた時、淡路さんのお父さんと知り合い再婚しました。

13歳と11歳違いのお兄さんが二人います。

淡路さんは20歳のときにフィリピン人歌手ビンボー・ダナオ(Bimbo Danao)さんと結婚しました。

彼のショーを見に行って人に紹介されました。

ビンボー・ダナオさんはフィリピンに奥さんと4人の子供がいて、またカトリック信者であり、その奥さんと離婚ができませんでしたので入籍はしていません。

淡路さんは次のように話しています。

「私、結婚に対してなんの夢もなきゃ、婚姻届を出すとかそんなことも知らなかったの。“好きだ、好きだ”って彼が言って、私が家を建てたらやって来て、お互いに好きだから一緒にいただけ。一緒にいるから結婚だと思っていたくらい(笑い)」

長男の島英津夫さんと次男(一般人のため非公表)を出産しました。

二児の母となりましたが1965年に離婚(ダナオさんは1967年に腺肉腫で死去)。

1966年に中村錦之助さん(後に萬屋錦之介と改名)と再婚し女優業を引退、三男・四男を出産しました。

しかし、萬屋さんの個人事務所である中村プロが13億円もの莫大な負債を抱え倒産。

筋無力症で倒れた萬屋さんを献身的に看病しますが、豪邸を売却し貯金も尽きた淡路さんは、萬屋さんを看病しながら生活費を稼ぐため、一時期は六本木でクラブの雇われママも経験しました。

甲にしきさんとの不倫問題などで1987年に萬屋さんと離婚しました。

1990年に三男の小川晃廣さんがバイク事故で死亡する不幸に見舞われ、2004年には俳優業を放り出すなど以前から素行不良に手を焼いていた四男の萬屋吉之亮さん(本名:井田哲史)が恵子さんの自宅に侵入、金品を物色中に通報で駆けつけた警視庁麻布署員に住居侵入などの疑いで逮捕連行されワイドショーや女性週刊誌で話題となりました。

愛想を尽かした恵子さんは厳罰を求めて吉之亮さんを告訴、懲役6月の実刑となりました。

しかも吉之亮さんはこの時、別の窃盗罪で執行猶予期間中でした(懲役1年6月・執行猶予3年)。

2010年6月18日、四男の吉之亮さんが自宅マンションで死亡しているのが発見されました。

自殺と見られています。

淡路恵子さんが出演した主な映画

野良犬(1949年)
君の名は(1953年)
君の名は 第二部(1953年)
夏子の冒険(1953年)
この世の花 第一部慕情の巻(1955年)
この世の花 第二部悲恋の巻(1955年)
この世の花 第三部開花の巻(1955年)
トコリの橋(1955年)
大安吉日(1957年)
美貌の都(1957年)
三十六人の乗客(1957年)
青い山脈(1957年)
弥次喜多道中記(1958年)
喜劇 駅前旅館(1958年)
銭形平次捕物控 鬼火燈籠(1958年)
社長太平記(1959年)
続・社長太平記(1959年)
女が階段を上る時(1960年)
珍品堂主人(1960年)
娘・妻・母(1960年)
社長道中記(1961年)
妻として女として(1961年)
続・社長道中記(1961年)
喜劇 駅前団地(1961年)
アッちゃんのベビーギャング(1961年)
ベビーギャングとお姐ちゃん(1961年)
喜劇 駅前弁当(1961年)
如何なる星の下に(1962年)
喜劇 駅前温泉(1962年)
私と私(1962年)
若い季節(1962年)
忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962年)
喜劇 駅前飯店(1962年)
社長漫遊記(1963年)
続・社長漫遊記(1963年)
クレージー作戦 先手必勝(1963年)
台所太平記(1963年)
喜劇 駅前茶釜(1963年)
日本一の色男(1963年)
新・夫婦善哉(1963年)
クレージー作戦 くたばれ!無責任(1963年)
香港クレージー作戦(1963年)
喜劇 駅前女将(1964年)
男嫌い(1964年)
ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗(1964年)
続・若い季節(1964年)
無責任遊侠伝(1964年)
兵隊やくざ(1965年)
喜劇 駅前金融(1965年)
四谷怪談(1965年)
花のお江戸の法界坊(1965年)
喜劇 駅前大学(1965年)
花と龍(1965年)
続花と龍 洞海湾の決闘(1966年)
喜劇 駅前弁天(1966年)
喜劇 駅前漫画(1966年)
丹下左膳 飛燕居合斬り(1966年)
父子草(1967年)
男はつらいよ 知床慕情(1987年)
ダウンタウン・ヒーローズ(1988年)
男はつらいよ 寅次郎心の旅路(1989年)
香港パラダイス(1990年)
日本一短い「母」への手紙(1995年)
狗神(2001年)
ぷりてぃ・ウーマン(2002年)
油断大敵(2003年)
ベロニカは死ぬことにした(2005年)
ハードロマンチッカー(2011年11月)
四十九日のレシピ(2013年)
ほか、多数


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