財政破綻したアルゼンチンでは中産階級が最も痛手を被った

アルゼンチン・ペソ
アルゼンチンは、1991年に自国通貨であるアルゼンチン・ペソとアメリカ・ドルを連動させるドル・ペッグ制を導入しました。




これにより、1990年代のアルゼンチンは、長年の懸案だったインフレを抑えることに成功した上、海外からの投資を呼び込み、高い経済成長率を達成することに成功しました。

しかし、1999年のブラジル通貨危機を契機に、事態は急変しました。

ブラジルをはじめとした周辺国が自国通貨を切り下げて、変動相場に移行したにもかかわらず、アルゼンチンは固定相場制度を維持したのです。

その結果、相対的なペソ高となり、輸出競争力が著しく低下しました。

当然、アルゼンチンへ入ってくる資金が減り、同国の対外債務に対する信認が大きく低下しました。

財政状況が悪化した上、度重なる大統領の交代など政治的な混乱も加わり、2001年12月、アルゼンチン政府は、ついにデフォルトを宣言しました。

財政破綻の瞬間です。

ドル・ペッグ制も崩壊し、アルゼンチン経済は大混乱に陥ってしまったのです。

アルゼンチン政府は、取り付け騒ぎが起きるのを防ぎ、資金の海外流出に歯止めをかけるため、全銀行の口座を凍結しました。

国民は自分の口座からの引き出しでさえ、週に300ペソ(当時の交換レートで150アメリカ・ドルに相当)に制限されることになったのです。

さらに当時のアルゼンチンの人々の多くはドル建ての定期預金を持っていたのですが、それを引き出す際には1対1.4のレートで強制的にペソに交換されることになりました。

つまり、自分の預金の3割近くを召し上げられることになったのです。

また、一定金額以上の預金は、強制的に定期預金に変更されて、しかも、ものすごく低い金利を強制されることになりました。

このような強圧的な措置が取られた結果、もっとも痛手をこうむったのが、中産階級の人々でした。

富裕層の多くは海外に口座を持っていました。

アルゼンチン政府の手の及ばないところに、危機の前に資産を逃がしていたのです。

そのため影響は少なくてすみました。

また、貧困層はもともと預金を持っていなかったので、政府による強行措置の被害を受けずにすんだのです。

結果として、そこそこの預金を持っているのだけど、海外に逃がしておかなかった中流階級の人々が一番の被害を受ける結果となったのです。

財政破綻後、金融機関の多くが破綻したことで、金融機関は完全に麻痺しました。

その結果、給料が払えなくなってしまった企業や、倒産する会社が相次いで、失業率は2001~2002年は20%を超えるまでになってしまいました。

アルゼンチンも遅まきながら変動相場制度に移行したのですが、経済が大混乱しているので、当然のことのように、アルゼンチン・ペソは大暴落しました。

その結果、輸入品を中心に物価が急上昇し、急激はインフレが発生しました。

具体的には、2002年の1月末から2月中旬までのわずか2週間で、生活必需品の価格が軒並み3割近く急上昇したのです。

さらに、通貨の信用が失われ、一般の市場機能が働かなくなってしまい、市民の間では物々交換のバザーが生まれるまでになりました。

お金を払っても、モノが買えなくなったのです。

このような事態に陥ったため、政府も食料品製造業者に協力を求めたり、衣料品と石油に価格の上限を設けたりと、事態の収拾へ躍起になってはいたものの、公務員給与の引き下げほか、緊縮財政策に対して、国民の不満は日々高まるばかりでした。

そしてついには、商店での略奪行為や暴動が発生。

大統領が辞任するなど、政情も不安定化し、国に見切りをつけて国外に脱出しようとした人たちがスペイン大使館に殺到して、ビザ発給待ちの大行列ができる騒ぎとなったのです。

アルゼンチンの事例は、財政危機が起きたギリシャ、ロシア、韓国と比べても、財政破綻のダメージがいかに大きいか、如実に表れていると思います。


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