1964年の東京オリンピック開催が初めての国債発行につながった

1964年東京オリンピック
2020年のオリンピック開催地を決定するIOC総会が間もなくアルゼンチンで開催されます。

東京でのオリンピック開催については、その経済効果と財政負担をめぐって賛否両論があります。




東京都が試算したオリンピックの経済効果は、需要増加が約1兆2000億円、経済波及効果は約3兆円となっています。

直接的な需要増加はGDPのわずか0.25%にしかすぎません。

オリンピック招致については、財政負担に対する懸念から反対意見も多く出ていますので、東京都はオリンピックの有無に関係なく整備されるインフラについては、試算の対象から除外するという処理を行い、お金のかからないオリンピックを強調しています。

開催地である東京とはまったく関係のない場所でも、オリンピック観戦に来た外国人観光客を取り込むためのインフラが必要だという話になれば、大型施設の整備を検討する自治体が出てくることになるかもしれません。

このようなインフラ整備が各地で行われることになれば、オリンピック慎重派が主張する通り、公共事業に対する予算要求が大幅に増大してくる可能性も否定できません。

実際、1964年に開催された東京オリンピックに向けて公共事業は大幅に増えました。

そして翌年の1965年には公共事業がパッタリとなくなり、「40年不況」と呼ばれる大型不況に突入しました。

戦後、日本が最初に国債を発行したのは、この1965年です。

この時の国債発行額は2,000億円で、あくまで一時的な措置のつもりでした。

借金のうまみを知った政府は、やがて毎年のように国債を発行して不足する財政資金を賄うことが当たり前となりました。

財政法では、基本的に国債の発行で財政を運用することを禁止していますが、公共事業についてはその限りでないことを記してあります。

教育関連費の中の学校の先生の給料は、そのとき使って終わりですが、道路、橋、港や公共施設はその後何年も使うものなので、その費用を今使う人と後に使う人みんなで払うという考え方です。

しばらく経つと公共事業は国債発行で実施するものだという常識がまかりとおるようになり、景気対策に公共事業を増加させる政策が導入されました。

多くが追加予算という臨時支出です。

元手があるわけではありませんから当然、財源は国債発行となりました。

さらに、1970年代後半のオイルショックで日本経済が再び過去にない不況に落ち込み、再び歳入が足りない状況になりました。

そこで、本来、公共事業以外には国債を発行してはいけないのですが、単年度で収支を合わせる必要があった為、制度をねじまげて「特例国債」という法律でいわゆる「赤字国債」を発行しました。

その年に限ってという措置でしたが、この「特例」も1回で終わりませんでした。

27年前に叫ばれた財政再建はこの赤字国債の発行をやめようというもので、ようやくストップがかかったのが、バブルの最終局面の1990年でした。

1年限りのつもりで始まり、やがて気が付くと恒久化していった国債は、いまや政府の「金のなる木」になりました。

問題なのは、公共事業という名の建設事業が、多くの地域で「産業化」してしまったことです。

かつては農閑期の産業でしたが、最近では「通年化」していて、農村部では、もはや公共事業という産業を抜きにして人々の生存が不可能になっています。

日本は、不況が長引けば長引くほど、多くの地域で公共事業増額を求める声が高まるということを知っておく必要があります。

現在の日本の累積債務の山は、東京オリンピックの後始末がスタート地点なのです。

最近では、国家の体力を無視したオリンピック関連のインフラ整備が国家破綻のきっかけになったギリシャの例など、オリンピックと国家財政の関係は深いものです。

このところ日本では良好なGDPの数値が得られていますが、実際は、大型公共事業による効果(2012年度補正予算を用いた総事業費20兆円の緊急経済対策)と消費増税前の駆け込み需要なのです。

来年以降は景気失速が懸念されますので、オリンピック特需への過剰な期待が生まれやすい環境にあります。

日本の財政規律は今、正念場に差し掛かっているのですから、オリンピック特需の為に国債を増発させ、国債価格の下落を招き、利払い負担を増加させることのないよう注視しなければなりません。


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